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2010年夏 川越城~忍城~岩槻城~松山城の旅 PART Ⅲ

●7月19日(月)晴天&猛暑:2日目
岩槻市役所の太田道灌像
国道16号線~県道2号線を東進し、大宮~岩槻へ往復約50Kmの旅。因みに、川越市役所にも太田道灌像があります。
こちらの道灌さんは『山吹の花』を持ってませんでした。
川越市役所の道灌さんは※市の花『山吹の花』を持ってます。岩槻市役所:太田道灌像
※山吹伝説:鷹狩りの途中道灌は、雨の為農家で蓑を借りようとしたところ、農家の娘は蓑ではなく山吹の花を黙って差し出したので、「花がほしかったのではない」と道灌は怒ったとの事です。
この話を聞いた近臣から、それは後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに『七重八重 花は咲けども山吹の みの(蓑)ひとつだに なきぞ悲しき』という古い和歌に『お貸しできる蓑はございません』ということを例えたのでは」と言われ、道灌は驚き、その後歌道に精進する様になったといいます。

■岩槻城址
岩槻市内に入ると至る所に【人形店】の看板が掲げられ、市役所から15分程で岩槻城址公園に到着します。城跡は現在、公民館、野球場等に整備されており、水を用いた城跡でも有る為か自然環境も豊かで、当日も猛暑にも関わらず多数の方々が野鳥観察をしてました。

岩槻城は長禄元年(1457)太田資清・道灌父子により川越城と共に築城かれたと言われております。元荒川と周囲の沼沢地を用いた堅城で、天正十八年(1590)、豊臣秀吉の小田原征伐で落城するまで太田氏が城主でした。徳川家康入府後は徳川家の譜代大名の居城となり、明治維新後取り壊されました。
岩槻城説明文

■黒門
岩槻城跡黒門
岩槻城黒門説明文

■八つ橋
公園内の池に架かる朱色の八つ橋からは、水面には蓮が一面に花を咲かせており、その間を鯉が元気よく餌をおねだりしに泳ぎ回ってました。岩槻城蓮

八つ橋

■大宮氷川神社
武蔵の国一の宮と言われる程、古い歴史のある神社です。この神社には小学校1年生の秋の遠足以来の参拝です。自転車からでもこの一角だけは緑が濃いので遠方からもよく分かります。参道はまるで緑のアーケード、本殿に近づくにつれ野球場の応援や声援が涼しい風に乗って聞こえて来ました。
氷川神社参道

■楼門
氷川神社楼門
当日はお宮参りの家族が綺麗な朱色の楼門を潜り参拝してました。

■舞殿
氷川神社舞殿
暑い日にも関わらずクスノキに囲まれて祭神に舞いを奉納する舞殿が、涼しそうに建ってました。

■拝殿氷川神社拝殿
電波おやじには神様にたくさんお願いする事はありますが、神様も大変だと思うので、とりあえず今後の自転車旅行の安全を祈念してお参りし来ました◎⌒ヾ(-_-。)
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Author:55GATs
年齢58歳 男性 血液型O型 身長176㎝ 体重67.4㎏ 体脂肪率21.4% BMI21.8 内臓脂肪レベル7 体年齢43歳 未婚
某通信会社勤務 
趣味:①ロードスポーツサイクルでの全国縦断(外周)の旅。②1/144の戦車や飛行機スケールモデル造りとオークション販売。③読書(特に歴史時代小説)④映画観賞(但し、ホラー等の怖い、気持ち悪いのはダメ)⑤TV視聴:頭を使わないUFO・宇宙人・UMA(未確認生物)や白痴TV番組等が好きです。
⑥お酒は何でもOK(お付き合い程度)

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