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電波おやじ2014年山陰地方の旅③

■5月9日(金)
鳥取曇り~晴天
●鳥取駅前
鳥取駅(朝)
昨夜とはうって変わってご覧の通りの晴天!

鳥取駅前(朝)
駅前から国道53号線を県庁まで突き当たる久松山に「鳥取城址」はありました。

鳥取城址(山・県庁)

●鳥取城址附太閤ヶ原
国道53号線(若桜街道)より鳥取城址へ。
太閤ヶ原

鳥取城址太閤ヶ原説説明書き

太閤ヶ原(お濠)

●太閤ヶ原から久松山の鳥取城址を望む太閤ヶ原から鳥取城址山頂を望む

●久松公園
鳥取城址説明書き
山裾にに濠と石垣を配置した堅固な山城でした。

久松山門

鳥取城址石垣

久松山鳥取城址説明書き

●鳥取砂丘
「お城」の次は「鳥取砂丘」を見学!
県道318号線、県道265号線と乗り継ぎ、山陰街道で鳥取砂丘ジオパークセンター方面経由で「鳥取砂丘」へ!
市街地から以外に近かった.
砂丘トンネル
砂丘に行くにもトンネル(砂丘トンネル)と坂道か!結構キツイ!!

鳥取砂丘看板

●鳥取砂丘(砂丘会館)
砂丘の全体像を見たいと思い砂丘会館へ登る。
エレベータが有ればな…。と思いつつ暑苦しい階段を登り、窓も空かない展望台へ。
砂丘会館①

砂丘会館②
昨夜の雨で少し湿った「砂丘」が眼下に開けてました。

●電波おやじとラクダ
砂丘会館から麓の砂丘へ。
鳥取砂丘①
「馬の背」遠望。人間があんなにも小さい…雨のおかげで、歩き易かった。

当たり前だが広くて「砂」ばかり。
鳥取砂丘②

鳥取砂丘③

「馬の背」と言われる大きな砂丘を眺めていると、「月の砂漠を~♪」の歌詞ではないが、向こうにラクダがいる。
1枚100円でラクダと記念写真を撮ってもらう。
鳥取砂丘ラクダ①

ラクダは予想以上に大きかった。
鳥取砂丘ラクダ②

鳥取砂丘④

鳥取砂丘⑤

鳥取砂丘⑥

鳥取砂丘⑦

鳥取砂丘⑧

鳥取砂丘⑨

駱駝山(らくだやま)峠を越え、蒲生川を渡り、国道178号線で坂道が少ないと思われる海岸通りへと向かう。

●富浦海浜
曇り空の下、海岸通りに突き当たり、松葉カニで有名な岩美町の富浦海岸で小休止。
富浦海岸看板

富浦海岸②

富浦海岸①

●鳥取兵庫県境峠
鳥取兵庫県境坂道の途中より

国道178号線は何故か?「昭和」のまま、時が止まった様な漁村から立派な自動車専用道路になります。
この辺りから兵庫県へ入る為には、内陸部のもう一度国道9号線へ戻るか?
山陰本線の東浜駅前を通り急峻な名も無き海岸線の山道を登るか?の二者択一が迫られる!
時間のロスを考えて、海岸線のルートを選択する。
その為か?クルマがほとんどこのルート(坂道)を登って来ない。
この坂道のルートは「登山」と言った方が適切で、今回のツーリングで一番「悲惨な坂道」でした。

東浜海水浴場
鳥取兵庫県境①
県境の峠の頂上付近から麓の東浜海水浴場の海岸線を見下ろす。
浜辺にに白波がかかり、まるで「絵葉書」の様に美しい~♪

●国道178号線の県境から
鳥取兵庫県境②

●穴見海岸
穴見海岸標識
麓の穴見海岸につく頃には天気は快晴。

穴見海岸

●山間部突入前の田園風景
国道178号線山間部へ

藤の花
坂道の途中で美しい「山ふじ」を愛でる。何故か、ほっとする。

●桃観峠
桃観峠トンネル
土埃を立てて大型ダンプ脇を通り過ぎる。
こんな山の中で何の工事してるんだろう?
行先を目で追うと、高速道路工事の建設現場だった。

更に目を先に向けると、何という事だ!またもや「急坂ダ!」
どうにか登り切り、一息入れる。

●香美町香住区鎧(よろい)
鎧
庵月山の麓を通る、地名からして「平家の落ち武者」でも出て来そうな雰囲気のするこの辺りに来ると、何故か?風も止み、薄暗くなり、そして暑苦しくなりました。
i~~人(-_- )合掌・・・祟られません様に…成仏して下さい。

●矢田橋
矢田橋
国道178号線を海が見える矢田川の河口付近まで下り、更にルートを先に進むも、どうも当初予定していた香住道路は自動車専用道路の様だ!
困ったな…。と香住小学校前を思案しながら交差点で信号待ちをしていると、【Panasonic㈱フクダ電器店】の看板が目に入る。
ちょうど携帯充電器の電池もないので、ついでに豊岡へ行く「いい道」を教えてもらおう!と。
出て来た社長さんと奥さんに親切にルートを教えてもらい、大変助かりました。

県道11号線(香住バイパス)から海岸線を県道163号線で東進、竹野で県道1号線に乗り換え内陸部へと南下し、国道178号線と接続してで豊岡市内へ通じる安全で楽なルートをご教示頂きました。

㈱フクダ電器店の社長さんと奥さん、その折は大変お世話になりました。
無事に豊岡へ着きました。

改めて 人(-_- )合掌・・・本ブログにて、御礼申し上げます。
有難うございました<m(_ _)m>

●柴山港香住地区浦上
浦上地区
追風に乗り順調に波静かな柴山港沿いを回る。バス停「浦上」で小休止。
防波堤から柴山港を眺める。

●土生(はぶ)トンネル1087m
土生トンネル
県道1号線の田園風景から山間部の国道178号線へ乗り豊岡市へと向かう。
長~い土生トンネルが最後の関門の様に口を開けて待っている様でした。

東の空が薄暗くなりかけた豊岡市内へ無事到着。

●トビウオの刺身
トビウオ刺身
夜はビジネスホテルに隣接した居酒屋で済ませる。(200円引き券利用)
「海の幸」満載の夕食でした。

■本日の走行距離:102.4km
■■累計走行距離:557.05km


5月10日(土)
豊岡市:曇りのち晴れ
●但馬(豊岡)コウノトリ翔る郷
豊岡市コウノトリ
国道178号線で最終目的地の舞鶴LASTスパート100㎞!
雨でも降りそうな雲行きではあるが、今日もどうにか持ち堪えそうか!な?

●兵庫県京都府境
兵庫京都境
地図では北近畿タンゴ宮津線と並行するルートの為か、時々列車の音が聞こえる。
残念ながら、森の木々で遮られている為、列車の姿は見えない。

兵庫県から京都府にかけても登り坂~下り坂~まさ坂の連続でした。
県境のトンネルを抜けると「京都府京丹後市」の標識が目の前に現れる。

とうとう京都へ到達したゾ!
長い下り坂を下り、久美浜の交差点で国道312号線と合流し天橋立・舞鶴方面へと向かう。

●早めのライト電灯!!
ライト点灯!
山間部に入って来たとたん、急に前方の空が薄暗くなる。(降るか??)
ここでパンクなんかして、おまけに雨でも降って来たら最悪!
気合を入れ、細心の注意を払いながら路面状態を目視!比治山峠へ。

●比治山トンネル(1089m)
比治山トンネル
比治山峠を越すにはこのやたらと長いトンネルを抜けなければ…。
登り坂のトンネルがこれほどツライものとは。
歩行者・自転車走行可の歩道はあるものの、(暗くて)見えない、(排気ガス、体力がキツイ)苦しい、(クルマの轟音が)怖いの(-_-#) 3拍子!

●京丹後市 北近畿タンゴ宮津線跨線橋
跨線橋
トンネルで「えらい目」に合うも、どうにか京丹後市の中心部に近づく。
道路の両側がにぎやかになって来る。
跨線橋からの田園風景眺めには「癒される」

●京丹後市丹後ちりめんの里
京丹後ちりめん
昔、「越後のちりめん問屋のご隠居」…「水戸黄門」は聞いた事はありますが、京丹後も「ちりめん」で有名だったんですね!

●小町の里京丹後
京丹後市小野小町の里
京丹後市の大宮町五十河(いかが)の里は、百人一首で知られる平安時代の歌人小野小町の終焉の地と言われ、小町の墓と伝えられる小町塚があります。(ホントかな?)

●天橋立
天橋立遠望①
北近畿タンゴ宮津線野田川駅付近でルートを再び国道176号線へ取り、阿蘇海(天橋立の内側)に注ぐ野田川に沿って県道2号線で天橋立へと向かう。

天橋立遠望②
遊覧船が白波を立てる海の向こうに緑に映える松林が見えて来た!
あそこが※「日本三景」で有名な「天橋立」か!近づくにつれスピードが上がる。
ここを見学すれば「日本三景」見学を達成ダ!!

●古風土記には、伊邪那岐命(イサナギ神)が真名井原へ天から通われる時に造られた梯(これを天浮橋という)が、伊邪那岐命(イサナギ神)が眠っている間に一夜にして倒れて海に砂地が出来た所が「天橋立」になったとの伝説があります。

※「日本三景」宮城県の松島、京都府の天橋立(あまのはしだて)、広島県の厳島(いつくしま)

●知恩寺「知恵の文殊」
知恩寺①
天橋立の袂(たもと)には山門も立派な「三人寄れば文殊の知恵 」で有名な知恩寺があり、「受験合格」「学業成就」を願う人々が参詣に訪れてました。

知恩寺説明書き

●多宝塔
知恩寺塔
境内に入ると週末でもあり、参拝者でごった返しており、なかなかお参りできませんでしたi~~人(-.-)

●本殿
知恩寺本殿

●「知恵の輪」知恵の輪
知恵の輪灯篭は三回くぐると頭が良くなると言われてます。くぐらなかった…。

知恵の輪説明書き

●天橋立(松林)
ここは【丹後天橋立大江山国定公園】に指定されており、
天橋立を覆うがごとく立ち並ぶ「松」には、いろいろな名前が付けられています。
片道3.6kmを往復するにはやはり自転車がいいでしょう!(レンタサイクルが盛んに行きかってました)

まずは、どれくらい距離があるか?電波号で走りズライ「砂利道」を一走り。
因みに距離は2kmほどありました。徒歩での往復は約1時間ほどか?

●天橋立から宮津湾・日本海を望む
天橋立から宮津湾日本海を望む

天橋立から宮津湾日本海を望む②
天橋立の両岸はご覧の通りの美しい浜辺と海岸線が続いてました。

●双龍の松
双龍の松
平成16年10月20日の台風23号の暴風雨で247本の松が倒木となってしまったと言われています。

双龍の松説明書き
この「双龍の松」(そうりゅうのまつ)と命名された松も、現在は「痛々しい」根元の切り株のみを残すだけとなってしまっていました…可愛そう人(-_- )合掌

●見返り松
見返り松
所々「櫛の歯」が抜けている様な箇所が見受けられましたが、それでも「神の住給う天への架け橋」たる【天橋立】十分に威厳を保っていました。

●羽衣の松
羽衣の松
「羽衣伝説」で有名な天女が、この松に羽衣を置き忘れた「松」?

天橋立①

天橋立②

天橋立③

天橋立④

天橋立⑤

●宮津湾より天橋立遠望
宮津湾から天橋立遠望

国道178号線(宮津街道)で宮津湾沿いに回り、栗田湾へ。
国道178号線で栗田湾へ

●安寿ロマン海道
安寿ロマン海道

ロマン海道

由良川をサケ遡上(そじょう)の様にさかのぼり、国道175号線で由良川を渡り舞鶴市街地へ。

その前に小さいながらも峠道が…「念仏峠」と言うそうなi~~人(-.-)
何でもその昔、落ち武者や一揆で処刑された人たちの霊が…怖いですね。

いつも会社で「妖怪」や「怪獣」(`<≡≡≡≡ ガォー みたいなのを見ているからか?
また「霊感」もないので、「ハー、はー」言いながらそのまま「念仏峠」を通り過ぎてしまいました。

●西舞鶴駅前
西舞鶴駅
峠を下ると舞鶴市市街地の海産物の看板が見えて来た。
もうすぐGOALだ!

●居酒屋
西舞鶴居酒屋

西舞鶴居酒屋刺身
ダイナミックに盛り合わせた大きな刺身で、今日も一日お疲れ様でした!

■本日の走行距離:90.27km
■■累計走行距離:647.32km

■5月11日(日) 快晴
●田辺城址
本日がツーリング最終日…「もう少し先へ行きたいな!」と思うのは何故だろう?
西舞鶴駅前の吉牛で朝飯を食べ、宿から2~3分程の「田辺城址」を見学する。

昔は舞鶴城と呼ばれていて、戦国時代に織田信長の配下であった細川幽斎が築城したお城で
その後、息子の細川忠興は徳川家康の東軍に加わり東下し「上杉攻め」に出かけていた留守中に、隠居中の幽斎は1600年の「関ヶ原の戦」時に石田三成率いる西軍に攻められ500名留守番部隊で何と!30倍の15,000名を相手に50日程籠城しました。
しかしながら、当時の一流の「歌人」「教養人」でもあった幽斎を失う事を憂いた後陽成天皇の仲介で「開城」し、幽斎は丹波亀山城へ移されました。

その後、徳川時代には京極家や牧野家と藩主が続き、明治維新を迎えました。
田辺城址案内図①

田辺城址説明書き

城内は小さな公園となっていた。そして一角には小さいながらもが菖蒲?が大変美しい池があり、しばし、時を忘れて古(いにしえ)の時を偲んで…ここで「一句」が出ませんでした。
田辺城址菖蒲池①

田辺城址菖蒲池②

●古今伝授の碑
古今伝授の碑
池の反対側には、開城は武人の本意ではないと固辞し、勅使に古今伝授の秘伝書と和歌一首を託した細川幽斎の和歌一首が下の歌です。

「いにしへも今もかはらぬ世の中に こころの種を残す言の葉」
意味は、変らない悠久の時の流れの中に、和歌は言葉によって心の種を残していくものです。(そのように私の歌と心も残るならば有り難いことです)
この秘伝書と和歌を伝えた場所が、心種園(しんしゅえん)に建っている「古今伝授の碑」のところと伝えられています。

●隅櫓(彰古館)
彰古館
昭和15年(1940年)に本丸西北の石垣の隅に二層の隅櫓が築かれ「彰古館」名づけられました。
内部には市指定の文化財が収納されています。

田辺城址案内図

●本丸跡
本丸跡
「彰古館」からの本丸跡は小さな公園となってます。

●天守台跡
天守台跡
小さな天守台跡、ここにどの様な天守閣を築いたのだろうか?

●隅櫓(彰古館)と城門
隅櫓(彰古館)と城門
城門は平成4年(1992年)に牧野氏時代の「丹後田辺舞鶴城御展図」を基に造られました。

田辺城址城門

●引揚復元桟橋
「田辺城址」を見学後、丹後街道(国道27号線)で舞鶴湾沿いに引揚桟橋へと向かう。
午前の陽光に輝く舞鶴湾沿いの県道21号線(海岸線)には心地よい風が吹き抜け、大変気持ち良い~♪ 順調に距離を増やして行く。

引揚桟橋全体
山間部へ入りトンネルを抜けると「引揚記念館」が右側に現れます。
この記念館の海側に「引揚桟橋」があると思っていましたが、急坂を2~300m程下った工場の裏側に「ひっそり」とありました。
興安丸

当時の桟橋の写真(俯瞰)
終戦時、海外には660万人以上の日本人が残されており、これらの方々を速やかに帰国させる事業を「引き揚げ」と言いました。

引揚桟橋全体

引揚桟橋左側

引揚桟橋右側
人(-_- )合掌・・・「引揚桟橋」の袂(たもと)には母国の土を踏む事が出来ずに亡くなった方々の魂を慰める【招霊】の碑や【語り部の鐘】や、当時の桟橋の様子を写した写真が飾られていました。

今から70年ほど前にここで「引揚」があったとは、とても想像できない程、舞鶴の空と海はとても美しいかったです。

●引揚記念公園
引揚記念館を見学する前に、記念館の裏の小山にある「引揚記念公園」を見学しました。
引揚者を一時収容した様子を描いた絵が大変印象的でした。
引揚記念公園の絵

歌碑
そこには「岸壁の母 異国の丘」の歌碑がありました。
第2次世界大戦後、ソ連による抑留から解放され、引揚船で帰ってくる息子の帰りを待つ母親をマスコミ等が取り上げた呼称が「岸壁の母」。


●「あゝ母なる國」の碑
あゝ母なる國の碑
全国引き揚げの父と云われた元外務大臣、故 有田八郎氏の筆によるもので、今も帰らぬ 同胞の望郷の御霊を慰めつつ岸壁の妻、母の嘆きをここにとどめ、永遠の平和を願っています
人(-_- )

●望郷慰霊之碑
望郷慰霊之碑
戦没した人々の御霊を慰めるとともに 恒久平和の祈りをこめて朔北会会員並び有志により建てられたものです。

●展望桟橋
展望桟橋
公園の先端部からは空中に突き出した様に架けられてある●展望桟橋があり、先ほど見学した●引揚復元桟橋と共に舞鶴湾を一望する事ができました。

しかしながら、ここからの眺めは「高所恐怖症」の電波おやじにとっては本当にただ「恐怖」と「怖い」の二文字のみでした。

勇気を振り絞り「激写」しました。
展望桟橋から①

引揚桟橋があんなのも小さい…。
展望桟橋から②

●引揚記念館
引揚記念館②

引揚会館①
「引揚者」「シベリヤ抑留」と一口に言われますが、終戦時、大陸に残された日本人は約57万人、その内約47万2千人がシベリヤ各地のほかに、コーカサス、北極圏等の収容所に送られ「強制労働」を強いられました。
館内には引揚者が身に着けていた衣服やシベリヤ抑留時の様子を現したジオラマ等があり、当時の苦しく厳しい状況を解説してました。
舞鶴では旧ソビエト連邦、中国等の大陸から昭和20年(1945年)から昭和33年(1958年)9月7日までの13年間で66万4,531人の引揚者と1万6,269柱の遺骨を受け入れました。

重々しい空気を同館の喫茶店のコーヒーで洗い流し、気分を変えて西舞鶴へ来たルートを戻る。

●舞鶴港遠望
舞鶴海上自衛隊遠望
さすが「海軍さんの街」 自衛隊の駆逐艦やフリゲート艦が遠望できました∠('-')
今度来た時には是非、「港めぐり遊覧船」で海軍ゆかりの舞鶴湾を廻りたいと思います。

●赤レンガパーク
赤レンガパーク①
帰り道の県道からは旧海軍の通称「赤レンガ」の倉庫群が存在感をある姿で建ってました。

赤レンガパーク②
この辺りで映画「男たちの大和/」YAMATO」のロケがありました。

●海上自衛隊舞鶴港ゲート前
護衛艦①
クルマと比べてもこんなに大きさが違う、それにしても軍艦はデカイな!

護衛艦②
まるで小山みたいだ!

西舞鶴駅前のホテルで電波号を輪行バックへ収納しヤマト便で送る。
今回のツーリングもパンク一つせずに無事に終了しました。

西舞鶴駅発14:34のまいづる10号で京都へ、更に16:29新幹線(のぞみ384号)に乗り換え東京へと戻る。
車中、ビールを飲みながら東海道をに下る車窓からの風景を見ているうちに東男(あずまおとこ)は(-.-)zzZとなっていました。

■本日の走行距離:33.51km
■■ツーリング累計走行距離:680.83km
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プロフィール

55GATs

Author:55GATs
年齢56歳 男性 血液型O型 身長176㎝ 体重67.4㎏ 体脂肪率21.4% BMI21.8 内臓脂肪レベル7 体年齢41歳 未婚
某通信会社勤務 
趣味:①ロードスポーツサイクルでの全国縦断の旅。札幌~稚内を走破すれば「全国縦断達成」②1/144の戦車や飛行機スケールモデル造り。③読書(特に歴史時代小説)④映画観賞(但し、ホラー等の怖い、気持ち悪いのはダメ)⑤TV視聴:頭を使わない『白痴TV番組』等が多い。
⑥お酒は何でもOK(お付き合い程度)

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