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2011年四国一周(PART4:松山~高松)自転車の旅

■5月6日(金) 晴れのち曇り(9日目)
朝食後、名残惜しいが松山を去る。
瀬戸内海沿いの国道196号線を通り本日の中継地、今治へと向かう。

松山市郊外 09:40
松山市郊外
特徴の無い、何処にでもある様な田舎の道を走っていると、前方より甘酸っぱい柑橘系の匂いが漂って来た。規模は小さいが山の斜面や畑の中にミカン(?)が実っていました。
また、畑には麦が一面に広がり、まるで遠くから見ると麦の絨毯の様でした。

風早の郷 10:20風早の郷
この辺りでは国道196号線の交通量も少なく、路面状態も悪くない。
国道と平行して走るJR予讃線もカラフル&派手な色彩の電車体をが南国の陽光に輝かせて走り去って行きました。
何と言う名前の列車だろう?ε=[。□□□。][。□□□ 。)

シーズンにはビーチバレーのコートになる誰もいない白い砂浜で小休止。

沖にはタンカーやクルーザーが海を渡り、手前の防波堤内では小型漁船が投錨している波静かな瀬戸の海を眺めながらのツーリングはなかなか気分が良い。
瀬戸内海
しかし昨夜、道後温泉で皮が剥けた腕に汗と強い陽射しが刺さって来る。
腕が熱く、少し痛くなって来た(>_<)

星の浦海浜公園 11:21
星の浦海浜公園
ここも誰もいない…。
大西駅の交差点を左に行けば「瀬戸内しまなみ海道」へ、右折すれば「今治市内」へ至ります。
今治市観光案内マップなるものがあり、昨年、反対側の山陽道・瀬戸内海沿岸を走りましたので、いつかは「瀬戸内しまなみ海道」で瀬戸内海を渡りたいと思います。

出来るだけ楽な海沿いのルートを選択し今治市内へ入る。
市内には車道の他に、歩道はもちろん自転車専用道までも設けられており、安心・安全・快適なツーリングが出来ます。

四国霊場五十五番 別宮山金剛院 南光坊 11:58
南光坊
市内を今治城方面へ向かう途中に立派な山門を構えた寺院が出て来ました。
四国巡礼のお遍路さんの姿は見えませんでしたが、自転車でも大変なのに徒歩で四国八十八箇所を巡るのは「とても大変な修行だな!」と、山門を見ながらツクづく思いました。人(-_-;)

県道から商店街を抜け、更に海岸沿いに向かうと突然白い漆喰が美しいお城が見えて来ました。

今治城祉今治城天守閣 
1604年(慶長9年)藤堂高虎が築城した海水を堀に引き入れた珍しい海岸平城です。
昔は天守閣の近くまで瀬戸内の海が来ていたとの事です。今も、お堀の水面に天守閣が映って大変きれいなお城でした。12:29
今治城堀
さすが熊本城の加藤清正と並び称される程の「築城の名人」だけはあります。
築城主の藤堂高虎(弘治2年/1556年~寛永7年/1630年)は、「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」という程に今で言う「転職」?を度々行い、最終的には伊賀一国、並びに伊勢8郡22万石、伊勢津藩の藩祖にまで見事に出世した戦国大名の一人です。世渡りが上手な方だった様です。

今治城を見学後、少しでも楽なルートを選択し、海岸沿いの県道38号線で今夜の宿泊地の新居浜市へと向かう。途中、寂れたラーメン屋で昼食を取り一休み。

すいか 14:01スイカ
県道脇の倉庫みたいな八百屋さんでは早くも「スイカ」が売っていました。
また、南国の特産の「せとか」と言うミカン(柑橘類)も美味しそうでした。

やがて県道38号線は国道196号線と合流する。この辺りから空模様が悪くなり、昼食後には向かい風は結構ツライ!中々進まない!!(イライラ)
正面からの風を避ける為、途中から県道13号線へ回り込み、順風&横風を狙う。

石鎚山方面遠望 14:40
石鎚山方面遠望
田植えが終わった田んぼの先には四国山地、標高1982mの西日本最高峰の石鎚山が望めました。
何だか、妙に近くに山が迫って来る感じがしました。

今治造船株式会社 西条工場 遠望 15:11
今治造船
県道13号線や産業道路バイパスを風向きや暗くなり始めた天気を気にしながら走っていると、のどかな田園風景に似合わない大きなクレーンが見えて来ました。
何のクレーンだろう?と近づくと造船所の大きなクレーンでした。
確かに今治はタオルだけでなく、大規模な造船所でも有名なお土地柄でした。

更に県道13号線で新居浜市内へ入り、市役所近くの宿に着く頃には空は暗くなり、遠くの空がピカピカと光り始める。
風も強風(向かい風)となり、前へ進まない。時々、(`ロ´ノ)ノヒーヒー言いながら、どうにか雨と雷様のお世話にもならず無事に宿へ到着\(^O^)/

■走行距離:92.89km
■累積走行距離:779.89km


5月7日(金) 晴れのち曇り(10日目)

■西赤石山 08:56
西赤石山・国領川
本日は今ツーリングの最終日。朝は天気快晴、絶好の「自転車日和」となりました。

県道11号線から県道13号線へ入り国領川を渡り、金比羅さんへのコースを取る。
昨日の風雨から打って変わり、橋から眺める四国の山々も(^O^) 喜んでいるみたいでした!

但し、風雨の後の自転車ツーリングは、路面には折れた木の枝や空きカンが転がっているので注意して走行しましょう!パンクにはくれぐれもご用心!

少し遠回りにはなりましたが、
海岸沿いの田んぼや畑の中を通る県道13号線は、交通量や起伏も少ない海岸線沿いの安全で、のんびりしたルートでした。

■峠道頂上(磯浦)付近09:52
峠道頂上(磯浦)付近
更に讃岐街道を東へと向かうと峠道になっており、小心者の電波おやじは高知市内から四万十市内までの『キツイ峠道』を思い出し、一抹の不安を覚えました。と思ったら、やはりけっこうキツイ峠道でした。

ひと汗かいて登った峠道頂上(磯浦)付近からは、瀬戸内海に面した小さな漁港を中心にした、讃岐平野を望む『箱庭』の様な美しい景色式が広がっていました。登るのにけっこう時間が掛かったにも関わらず、下りは5分も掛からず急降下!

やがて県道13号線は四国中央市豊岡町豊田付近で予讃線の踏切を渡り、国道11号線(讃岐街道)と合流すると四国中央市市街地へ入る。

四国中央市には三島紙屋町という地名がある程、昔から製紙工場が多い事で有名です。以前は四国ではこの町全体が「紙クサイ」?事でも有名だったとの事です。今は特に「クサイ」匂いは気になりませんでした。

■豊浜八幡神社11:27
豊浜八幡神社
街道沿いの神社の入口に何やら□□先生○×○×と?書かれた標識を発見する。
緑深き境内に誰か立っている。
境内と大平先生像

あっ!むかしTVで見た(^O^)顔!と思ったら!大平先生像
元総理大臣だった大平正芳さん(銅像)でした。

「まぁ~、ショニョウ~!」の国会答弁で有名な、盟友の田中角榮さんが越後長岡の出身は存じておりましたが、大平元総理がこちら四国(豊浜町)のご出身とは知らなかったです。
スミマセン。<(_ _)>ごめんなさい。

安芸の宮島へ
この豊浜八幡神社から、明治2年、安芸宮島の厳島神社の木造大鳥居建造の為、本柱の大木が一本寄進されたとの事です。

先へ進むと暑いお昼時でもあり、広い境内には誰もいませんでした。

こちらの神様へ社殿
「これからも四国一周のツーリングが無事に終わります様に」と◎⌒ヾ(^-^*) お願いしました。
フッと見ると社殿への石段の脇に良く時代劇に出て来る「お百度を踏む」の小さな「百度石」なるものがありました。

■讃岐うどん12:12
讃岐うどん
大平(元)総理大臣の銅像にご挨拶した後、『空気』までが暑く感じる誰もいない国道11号線へ。
「姫浜」と言う何かしら故事がありげな交差点を国道377号線へ右折し、予讃線を越え、所々に四国で特有のため池が点在してる田園&農村を横目に金比羅さんへ急ぐ(^_^;)
坂道を登り切り、街道沿いに『讃岐うどん』の看板を掲げている小さな食堂で昼食。
早速『讃岐うどん』で腹ごしらえ。値段も天ぷらとうどんお代わり付けてお手頃価格、400円程でした。

■金比羅さんまであと4km13:20金毘羅さんまであと4km
「讃岐うどん」で腹も満ちたし、気合いを入れてもうひと頑張り!この坂を下ると「金毘羅」の看板がやたらと出てくる。もうじきダ!
金毘羅さんはどの辺りだろう…か?逸る気持ちを抑えながらも「安全走行」

金倉川沿いに県道208号線を左折し、「海の神様」金毘羅さんの門前町へ到着。
本殿までの通りは老も若いも、男も女も、日本人も外人も、犬やネコまでも参拝に訪れている様な、混雑でした。
両側の土産物店も商売繁盛のご様子で「お祭り」でもしているみたいに大変賑やかでした。

ただ、ここからは先が見えない程の階段が続き、ペダルを漕いでいるより「ツラかった」です。
因みに参道口から本宮まで785段、奥社までは1368段の長~い石段が続いてます。

■こんぴら狗こんぴら狗13:55
首から「金毘羅参り 合格祈願 東京照村」のお札をかけたこんぴら狗(ゴン)が出迎えてくれました。
この犬は江戸時代に、首に巻いた初穂料と食費を袋に入れて、主人が旅人に代参を託した犬です。
旅人と共に無事代参を済ませて家族のもとへ。
いつの頃からかこの金毘羅参りのこの犬を「こんぴら狗」と言われるようになりました。
「ごんチャン」エライ U^ェ^U


■長~い石段
14:04
長~い石段
ここ先に本宮が有るはずだが、更に先が見えない程長~い石段が続いてました。太ももが(>_<)痛くなってきた。

■金毘羅さん御本宮14:09
金毘羅さん御本宮
やっと金毘羅さんの御本宮へ到着。
参拝されていた皆さんの顔には、ここまで来るのに苦しんだ末の、晴れ晴れとした表情をされていました。o(^-^ )o目出度し!目出度し!
金毘羅さん御本宮②

■金毘羅さんからの讃岐平野遠望14:16
金毘羅さんから讃岐平野遠望
御本宮脇の展望台からは写真の様に陽光に輝く田園風景の先に、讃岐平野の讃岐富士が一望できました。

■絵馬殿
金毘羅絵馬殿
しばらく境内を散策していると、船の航行安全に関する神様だけあって大小の船(海上自衛隊の艦船までも)の絵馬が沢山納められており、中には昭和37年太平洋単独無寄港横断で有名な海洋冒険家の堀江謙一さんが、2万2千個のアルミ缶で作成し、再び太平洋を横断したソーラー船でも奉納されていました。
ソーラー船
ソーラー船説明書き

■奉納プロペラ
今治造船㈱から、黄金色に輝く!直径6メートルの大きなスクリューが奉納されておりました。
奉納スクリュー

■神馬舎(月琴号)神馬(月琴号)
御厩では、神様がお乗りになると言われる「神馬」がを飼養しされていました。
しかし、シカはいませんでした。

■アフリカ象
アフリカ像
石段を下ると何故か?アフリカ象の銅像が…。
金毘羅さんは象頭山中腹にある事から?ゾウさんを奉納したのかな?

金毘羅さんへ参拝後、傾いた西日の中、熱い国道319号線を標識を頼りに丸亀市内へ向かう。靴を通して路面の熱さが伝わって来る。

■丸亀城(大手門)15:45
丸亀城祉正面
丸亀城の第一印象はは、まるで石垣と言う鎧兜をまとった武装した武者の様でした。下から仰ぎ見る美しい見事な造型の石垣に圧倒されてしまいました。この城は天守閣を見る前に石垣をだけで十分『お腹一杯』になりそうな迫力でした。
この石垣は亀山と言う山を石垣で固めたもので、一番高い石垣は21メートル、一番下から頂上の本丸まで60メートルあるとの事です。
丸亀城説明文
この石垣にも「怖い」言い伝えがあります。
大石塁を作成した名工(羽坂 重三郎)に「鳥居外に誰も乗り越える事は出来ないだろう…。」と当時のお殿様(生駒親正)が褒め称えたところ、羽坂が一本の鉄棒でいとも簡単に登ってしまいました。この事が他国に知れると危険な為、彼を謀略にかけて殺してしまったとの事です。
丸亀城お堀と天守閣

丸亀城を後にして右側に富士山を小さくしたような飯野山を眺めながら、国道11号線で今回のツーリングの出発地である高松市内を目指す!
もうすぐ四国一周のゴールだ!
夕暮れになりつつあり、ラストRUNは注意して走行しましょう!

■高松市内 居酒屋「ゆめや」22:25
高松市ゆめや
出発した高松市内のカプセルホテルへ無事到着! 四国一周完成しました\(^O^)/

温泉に浸り、旅垢を洗いながしてサッパリして、四国一周する前の晩に(勝手に)前夜祭した「ゆめや」さんで「祝勝会」を行いました。

「ゆめや」の店長や皆さんに\(^∇^)≪★祝 四国一周☆オメデトウ☆祝★≫(^∇^)/のお祝いに美味しい料理の「お祝い」まで頂きました。
遅くなりましたが、このブログにて深くそして厚く、御礼申し上げ奉ります<m(ToT)m>
また、四国高松へ行く機会がありましたら、是非、訪ねたいお店です。

■走行距離:113.32km
■■今ツーリング累積走行距離:893.21km


5月8日(日) 晴れのち曇り(11日目)
今日が四国一周ツーリングの最終日。
自転車はホテルのフロントから宅急便(ヤマト便)の着払いで東京へ送って、飛行機が出るまで高松市内を観光見物ε=ε=┏( ・_・)┛

瓦町駅より高松琴電琴平電鉄琴平線(琴電)に乗り栗林公園へ、都心部の電車と違い「痛勤」しない、「穏やかな」「ノンビリ」した電車の雰囲気が気に入りました。
駅前からは徒歩5分程で栗林公園に到着します。相変わらず南国の強い日差しが暑い((^。^;)ノ

■栗林公園 東門(りつりんこうえん)
栗林公園
栗林公園は、昭和28年3月に全国で8番目に特別名勝の指定を受けた国内最大の回遊式庭園です。
松の緑濃い紫雲山を背景に6つの池と13の築山を配しており、季節がら早くもセミがうるさい程鳴く、新緑と草花が大変美しく、そして広~い庭園でした。
栗林公園つつじ
この庭園の起こりは、戦国時代の元亀、天正の頃から当地の豪族であった佐藤氏によって、築庭されたのが始めです。
その後、寛永年間(1625年頃)讃岐藩主生駒高俊公によって、湖南一帯が造園され、寛永19年(1642年)に入封した水戸光圀(黄門さま)の兄、松平頼重公に引き継がれました。以来、明治維新まで歴代藩主の下屋敷として松平11代228年間にわたり使用されました。
 明治4年(1871年)高松藩が廃され、新政府の所有となりましたが、明治8年(1875年)3月16日、県立公園として一般公開され、現在に至っています。
栗林公園庭園②

湖にはナマズが泳いでました。栗林公園なまず地震が来るのか…?

■掬月邸
掬月亭藩主が愛した数寄屋風の建物

■飛来峰からの眺望 大変、美しい風景でした。
栗林公園飛来峰
また、別の季節に訪れたいと思いました。

飛来峰説明文

ネコも見学してました。栗林公園ネコ

栗林公園案内図
ずいぶん広いな~と思いながら出口へ向かう。
案内図には何と!75ha(東京ドーム16個分)の広さがありますなんて…。(-_-;)疲れる訳だ!

■琴電高松築港駅10:59琴電高松築港駅
再び黄色い車輛の琴電で栗林公園駅から高松築港駅へ向かい、高松城祉を見学。

■高松城祉(玉藻公園)11:04
玉藻公園
高松城は豊前中津城、伊勢津城と共に「讃州さぬきの高松さまは城が見えます波の上」と歌われる程の日本三大水城郭の一つです。

鯛願成就
「鯛願成就」の幟(のぼり)が掲げてある海水を引き込んだ堀では時々鯛(たい)が五月晴れの太陽に身を耀かせ、躍らせ元気良く跳び跳ねてました。
※堀の海水は国道30号線の下を潜って瀬戸内海とつながっている為、現在でも内堀、中堀の水位は潮の干満で変化しています。

披雲閣
披雲閣玄関
ここには松平藩時代にも藩主が生活する場所として約2倍の規模の「披雲閣」という名前の御殿がありました。
現在の披雲閣は、明治5年(1872年)老朽化により取り壊され、松平家12代当主寿伯爵が大正3年に再建に着手し、大正6年(1917年)に完成したものです。
披雲閣玄関三つ葉葵
この建物は正統的書院造の松平家の別邸として建てられ、142畳敷の大書院をはじめ各部屋があり、昭和天皇、皇后両陛下も宿泊されました。  
平成17年10月には高松市の有形文化財に指定され、現在は高松市が譲り受け、貸し会議場等として市民に利用されています。
披雲閣ツツジ庭園

「大岩成樹」 ど根性松
松樹の種子が気合いを入れて岩の間に根をおろし、樹齢およそ17年の松に成長していました。
ど根性松
立派な大樹になって下さい。

月見櫓(着見櫓)
月見櫓(着見櫓)
月見櫓は北の丸の隅櫓(すみやぐら)として延保4年(1676年)頃完成したといわれ、出入りする船を監視すると共に、藩主が帰国するのをこの櫓から望み見たので「着見櫓」とも言われています。

月見櫓・水手御門・渡櫓
月見櫓・水手御門・渡櫓
[昭和25年8月29日重要文化財指定]
藩主が船で着到する月見櫓に連なる薬医門様式の水手御門は、海の大手門です。

月見櫓の三つ葉葵の瓦越しからは、瀬戸内海を渡るフェリーや源平合戦で有名な屋島が遠望できました。
月見櫓・屋島遠望

再び琴電を乗り継ぎ、最終見学地の琴電屋島駅へ向かいました。

琴電屋島駅 13:05琴電屋島駅
昔懐かしい駅舎(無人)や誰も居ない駅前から屋島を眺め、あそこまで交通機関はないものか?と探すが、寂しいバス停が有るだけでした。
屋島駅から屋島を望む

バス停時刻表
1時間に2回しか来ないバスが来るまで、じい様達がおでんを肴にビールを飲みながら将棋を指している○×食堂でうどんを食べ時間をつぶす。

急な坂道を喘ぐ様な、苦しそうな排気音をたてながらバスは屋島ドライブウェイ登って行きます。
つくずく「自転車でなくて良かった」と思いながら外の景色を眺めているうちに屋島の頂上へ到着。

やはり屋島、大きな源平合戦の絵巻がこれでもか!と言う様に掲示されていました。
屋島源平合戦絵巻

屋島神社 13:40
屋島寺正面
四国霊場第八十四番でもある屋島神社へ参拝する「信心深い人々」が多い為か?義経のファンが多いのか?頂上の駐車場はバスや自家用車で満車状態。
屋島寺説明文

屋島寺・本堂室町時代の再建と伝わる朱塗りの本堂は、本尊の千手観音座像とともに国指定の重要文化財。
屋島寺伽藍

蓑山大明神屋島本尊千手観音の御申狸として
たぬき
善行をつむため、四国狸の大将としてあがめられている。屋島に異変があるとき、事前に住職にしらせたという。
家庭円満、縁結び、水商売の神様。

源平屋島合戦八百年祭供養碑
慰霊碑
寿永4年(1184年)の源平屋島合戦の八百周年に合わせて同合戦において戦没した霊を弔う為、昭和60年に建立されました。

屋島寺:山上獅子の霊巖 “カワラケ投げ”
かわらけ投げ
源氏軍が勝利を祝って軍笠を投げたことにちなんで素焼きのカワラケを海に向かって飛ばします。厄除けにもなるといわれています。遠くへ投げれる程お願いがかなうとの事です★ヽ(゚_゚;)が、10枚200円のカワラケを買ったにも関わらず逆風で投げたカワラケが戻って来てしまい、お願いが叶いそうもない「悲惨な女子」がいました┏(-_-|||)┓

源平合戦案内石柱
屋島の頂上には昔の源平合戦の他に大和朝廷時代の遺跡も有った事には驚きました。
ここ高松は、古代から瀬戸内海交通の要所となっていたんですね!勉強不足でした<m(_ _)m>
屋島城址説明文

駐車場から北嶺岬の展望台までは鬱蒼とした林道、樹木道と言っても過言ではない道(一部舗装されてます)をけっこう歩きました。たぶん片道3~4Km前後くらいかな?
屋島林道

屋島城址は天智6年(667年)に唐や新羅からの進攻に備える為、屋島の中央部に当時の大和朝廷へ亡命して来た百済からの渡来人が築城した石垣や池もある本格的な朝鮮式山城塞でした。
帰り道は変な鳥の鳴き声が不気味でした。(茂みから恐竜や化け物でも出そうな雰囲気でした…考え過ぎか?)
千間堂への小道
屋島千間堂案内図

千間堂跡
千間堂跡
千間堂は唐招提寺を築いた鑑真和尚天平勝宝6年(574)に大和へ向かう途中暴風雨に遭い屋島北浦へ上陸し建てたと言い伝えがあります。現在は湿地帯となっいてます。

夜鶴亭(屋島北嶺と備讃瀬戸)
屋島北嶺・瀬戸備讃説明文

瀬戸内海フェリー
穏やかな瀬戸内海や島々の間をフェリーや漁船が、白い航跡を引きながら海面を滑る様に走り去りました。

屋島古戦場遠望
展望台の案内板では那須与一が平家の扇の的を矢で射落とした有名な「屋島合戦」の舞台は、現在は市街地となってしまっている写真中央(広場みたいな所)の辺りだとの事です。
義経や与一達、東国の武者達は写真の右隅の方角から屋島へ騎乗や徒歩で戦(いくさ)しに来たとの事です。


高松港遠望
西に傾いた太陽に照らされた高松港を眺めて、今回のツーリングも無事に終わった事を「旅の神様」「自転車の神様」へ感謝すると共に、最後までご覧いいただいた皆様にも合わせて暑く!厚く御礼申し上げます。

有難うございました。

では、次は何処へ行こうかな!?

■これからの電波おやじ自転車の「旅」の参考にしたいと思います。
 ご迷惑でなければ、コメントや拍手を頂ければ、大変幸せです。宜しくお願いします。




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テーマ : 国内、史跡・名勝巡り
ジャンル : 旅行

プロフィール

55GATs

Author:55GATs
年齢57歳 男性 血液型O型 身長176㎝ 体重67.4㎏ 体脂肪率21.4% BMI21.8 内臓脂肪レベル7 体年齢41歳 未婚
某通信会社勤務 
趣味:①ロードスポーツサイクルでの全国縦断の旅。札幌~稚内を走破すれば「全国縦断達成」②1/144の戦車や飛行機スケールモデル造り。③読書(特に歴史時代小説)④映画観賞(但し、ホラー等の怖い、気持ち悪いのはダメ)⑤TV視聴:頭を使わない『白痴TV番組』等が多い。
⑥お酒は何でもOK(お付き合い程度)

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