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2009年東海道自転車旅(番外編:京都市内観光)PART2

昨夜の深酒( ´o`)が覚めないままバスに乗り、千手観音像で有名な三十三間堂へ向かう。
京都博物館三十三間堂前で下車。酔い覚ましの缶コーヒーでレ(゚ー゚レ) 気合いを入れ見学開始!

■5月29日 晴れ 08:58
●三十三間堂[国宝]

 三十三間堂[国宝]090529_0933~01  三十三間堂国宝090529_0937~01
正式には蓮華王院[国宝]といい、長寛2年(1164年)鳥辺山麓(現:阿弥陀ヶ峰)の後白河上皇・院政庁「法住寺殿」の一画に平清盛が造進しました。
約80年後に焼失しましたが、直ぐに復興に着手し文永3年(1266年)に再建されました。
その後、室町・桃山・江戸そして昭和と4度の大修理により700年間保存されています。
長いお堂は和様の入母屋・本瓦葺の「総檜造り」で約120メートルあります。
正面の柱間が33ある事から「三十三間堂」と通称され、堂内には1001体もの観音像がまつられています。

また、境内・南の通称「太閤塀」と呼ばれる築地塀と南大門は、共に豊臣秀吉ゆかりの桃山期に気風にあふれた重文・建造物です。

堂内中央にある檜材の「寄木造り」の虚像(中尊)を中心に左右各500体[重文]、合計1001体がご本尊となっております。正しくは「十一面千手千眼観世音」とよばれ、頭上の11の顔と40種の手に表現されています。

中尊[国宝]は「奈良の大仏様」で有名な東大寺南大門の金剛力士像(阿吽像)作者運慶の長子の大仏師湛慶(たんけい)が建長6年(1254年)82才時の造像です。

等身立像の中、124体は創建時(平安期)のもので、他の800体は鎌倉期の再建の折に約16年をかけて復興されました。

本堂の中には廊下の先が見えない程先まで“まばゆい”“神々しい”黄金色の「観音様」達が出迎えてくれました。
写真では観た事はありますが、こんなに凄いものとは想像しておりませんでした。
驚き(゚0゚;)と感動を覚えました。

※残念ながら写真撮影は禁止の為、ご覧頂けないのが誠に残念です。「一見の価値」は十分にあります!!
 
●本堂西面三十三間堂西面090529_0935~01
ここでは「通し矢」と言う六五間(118メートル)の細い堂の広縁の上で、暮六つから翌日の暮六つまでの24時間に南端から北端に向かって矢を射って、到達した矢数を競技があります。
西縁の梁には“通し矢”の矢が突き刺さっていました。
貞享3年(1686年)紀州藩の和佐大八郎範遠が8132矢を射り、「天下一」の額を掲げました。

現在では毎年1月中旬に「頭痛封じ」にご利益があるといわれる「楊枝のお加持」の縁日に、「通し矢」の伝統に因む、本堂西側の射程60mの特設射場で矢を射る「三十三間堂大的全国大会」が行われています。
新成人女性が振袖袴姿で行射する姿が正月の風物詩となっています。
エイッヽ( ^-^)ノ }----- →◎

五月晴れの空の下、大和大路通り090529_0952~01
京都の旧市街地をのんびりと散歩がてら大和大路通り沿いに「豊国神社」へ向いました。
空がこんなに広かった事を恥ずかしながら、しばらく忘れていました(/o\)

●豊国神社唐門[国宝]豊国神社正面90004_convert_2011012912332709:58
階段を登ると黄金好きだった太閤秀吉に相応しく、太陽を浴びて「キンキラキン」に輝く「豊国神社唐門」が現れて来ました。

唐門右面090529_1015~01
豊国大明神:額090529_0958~01
京都の人々は「とよくにさん」の名で親しまれていますが、正式名は「とよくにじんじゃ」です。
伏見城で慶長3年(1598年)8月18日に亡くなった翌年に、広さ約30万坪の広大な境内、太閤坦(たいこうだいら)に日本初の権現造りの社殿が造営され、後陽成天皇より「豊国大明神」の神号を与えられた太閤秀吉を祀ています。
しかし、豊臣家滅亡後の徳川時代には同神社は破壊されましたが、明治13年(1880年)に旧方広寺大仏殿跡地に復興されました。
同神社の宝物館には、秀吉一代で天下の隆盛を独り占めし、わずか数十年程で滅んだ豊臣家の「栄枯盛衰」を伝える貴重な展示物が展示されていました。


●方広寺鐘楼11:08
方広寺鐘楼

●方広寺の鐘方広寺(鐘)
これが慶長19年(1614年)豊臣家討伐(大阪冬の陣)の口実になったと言われている、かの有名な「国家安康」「君臣豊楽」を刻んだ「言い掛かりの鐘」か?と感慨深く見入ってしまいました。※白く縁取りしている箇所です。
鐘は重要文化財となっており、高さ4.2m 重さ82.7tがあります。

●方広寺の巨石方広寺大仏石90529_1104~01
大和大路通りには巨大な石組みがありました。石の巨大さに方広寺創建当時の規模の大きさが偲ばれます。

●六波羅密寺 10:49六波羅密寺本堂090529_1049~01
天歴5年(951年)醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第十七番の札所です。
平安後期に広大な境域内には平家一門も邸宅が5200軒ほど栄えましたが、寿永2年(1183年)に壇ノ浦で平家滅亡時に兵火で焼失し、本堂のみ残すところとなりました。六波羅密寺玄関090529_1050~01
その後も源氏、北条、足利、そして豊臣、徳川の各時代に焼失と復興を繰り返しました。

現在の本堂は貞治2年(1363年)の修営で、開創千年を記念して昭和44年(1969年)に解体修理が行われ、開創時の姿を再現しています。六波羅密寺説明板090529_1029~01
「念仏踊り」と念仏を唱えると「南無阿弥陀仏」が口から現れたとの伝承のままの「空也上人立像」の他に、「平清盛坐像」や東大寺南大門金剛力士像で有名な「運慶坐像」や先程の三十三間堂の中尊(国宝)の製作者、「担慶坐像」父子の木像(全て重要文化財)も有りました。

●東寺11:58東寺南大門五重塔005_convert_20110127222128
正式名称:真言宗総本山 教王護国寺 
バスで京都駅前へ向かう、遠方に時々東寺の五重塔が見え隠れする。
新幹線からも見える所にあるにも関わらず、見学していない…。
もしかしたら、遥か昔の中学校か高校の修学旅行時に見学したかも?記憶が定かでない…。
とりあえず、東寺南門前で下車し、東寺五重塔全体090529_1220~01
五重塔を下から見上げる。近くで観るより少し離れて観た方がいいです。首が疲れる。

●五重塔[国宝]東寺五重塔5290024_convert_20110127222546
天長3年(826年)弘法大師(真言宗:空海)により創建されました。
現在の塔は寛永21年(1644年)徳川家光の寄進により竣工した高さ55mの現存する日本古塔中最高の塔です。


●金堂[国宝]東寺金堂5290018_convert_20110127224048
延暦15年(796年)創建、文明18年(1486年)焼失しましたが、慶長8年(1603年)に片桐勝元を奉行にして豊臣秀頼によっ再興されました。


●講堂[重文]
東寺講堂5290015_convert_20110127224648
創建時にはありませんでしたが、天長2年(825年)弘法大師によって着工され、承和2年(835年)頃完成しました。
文明18年(1486年)の土一揆の戦火により焼失しました。
現在の講堂は延徳3年(1491年)に再興された建物で、基壇の上に建てられ、様式も純和式で優美な姿を保っています。


●南門から金堂を見る12:32南門から金堂を見る05290008_convert_20110127231306
再び南門へ、昼下がりの京都の街を新幹線(。□□□。][。□□□ 。]の待つ京都駅まで徒歩で向かう。
そこには更に充実したツーリングが出来る様、人(-_- 祈りつつ京の都を後にする「電波おやじ」の姿がありました。

■これからの電波おやじ自転車の「旅」の参考にしたいと思います。
 ご迷惑でなければ、コメントや拍手を頂ければ、大変幸せです。宜しくお願いします<m(_ _)m>
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プロフィール

55GATs

Author:55GATs
年齢57歳 男性 血液型O型 身長176㎝ 体重67.4㎏ 体脂肪率21.4% BMI21.8 内臓脂肪レベル7 体年齢41歳 未婚
某通信会社勤務 
趣味:①ロードスポーツサイクルでの全国縦断の旅。札幌~稚内を走破すれば「全国縦断達成」②1/144の戦車や飛行機スケールモデル造り。③読書(特に歴史時代小説)④映画観賞(但し、ホラー等の怖い、気持ち悪いのはダメ)⑤TV視聴:頭を使わない『白痴TV番組』等が多い。
⑥お酒は何でもOK(お付き合い程度)

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