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2009年東海道自転車旅(番外編:京都市内観光)PART1

今回は一昨年(2009年)の日本橋から三条大橋まで途中の寄り道含めて653.3kmを走破後の、【続編】京都市内観光の巻きです。

京都では河原町通(県道32号線)に面し、地下鉄東西線京都市役所前駅と阪急京都線河原町駅のほぼ中間地点に宿泊した関係で、小雨の中、まずは「織田信長最期の地」で有名な本能寺へ(@´_`人 お参りしました。
「本能寺の変」天正10年(1582年)当時の寺院は現在の場所と異なるとの事です。

京都市役所本庁舎前を通り、河原町通(県道32号線)と丸太町通(県道187号線)の河原町丸太町交差点を左折し、京都御所へ向かいました。

■5月28日 雨のち曇り
●京都御所9:47京都御所通路090528_0947+01_convert_20110109221900
京都御所は、桓武天皇により794年(延暦13年)に造営され、明治2年に明治天皇が首都を東京へ移すまで、天皇の住居として用いられていました。

軽飛行機なら着陸出来るのではないか?と思うほど幅広い小石を敷いた通路に驚く(゚ロ゚)
驚くのは道幅だけではなく、御所を囲む築地塀と絢爛豪華な造りの「御門」にも更に驚く(^0^;)

●建春門建春門斜め090528_0957~01
京都御所の内講を固める6つの門の一つで、向唐破風の屋根を持つ御門です。
江戸期までは勅使の出入りに使われていましたが、明治以後は皇太子や皇后の出入りに使われるようになりました。また、外国の元首が出入りする際にも使われています。

●建礼門建礼門090528_1001~01
京都御所の「正門」の事で御所南面中央にあります。陛下や外国からの賓客・国賓もこの門から入場されるとの事です。

●御所案内板御所案内板090528_1018~01
京都御所の内部を見学するには事前に郵送やインターネットでの「予約」が必要との事でした。
今回は時間の制約もあり周囲の御門少しを見学しただけでしたが、小石を敷いた歩きづらい道を歩いた為か、(-_-;)歩行距離の割には足が疲れました。
次回、見学する機会があれば時間をタップリとって、ゆっくり見学したいと思いました。
何しろ広い…小さな飛行場くらいの敷地面積はありそうだ!

●知恩寺11:02知恩寺山門090528_1102~01
相変わらずの小雨模様の空の下、同社大学前から市バスで銀閣寺方面へ、途中の京大(吉田キャンパス)農学部前で下車知恩寺額090528_1103~01知恩寺を見学しました。
知恩寺伽藍090528_1104~01

ここは鎌倉時代に「南無阿弥陀仏」南無阿弥陀仏090528_1105~01
とお念佛を唱えれば誰でも極楽浄土に往生できると説かれた、浄土宗の法然上人が開祖です。
正式名称は【浄土宗大本山百萬遍知恩寺】と言われ、「百万回、または数限りなく繰り返す事」でおなじみの「百万遍」が通称となってます。
知恩寺説明文090528_1120~01
今から680年前の元弘元年(1331)京に疫病流行した時、当山第八世善阿上人が、後醍醐天皇の命を受け、弥陀宝号(南無阿弥陀仏のお念佛)を呪する事、百万遍を修したところ、疫病退散の効ありて「百萬遍」の号を賜りました。


12:07●琵琶湖疏水琵琶湖疏水090528_1207~01を渡り、
春のお花見の季節には人であふれるのではあろう
●哲学の道哲学の道090528_1208~01を一人思索にふけりながら銀閣寺へ向いました。
●琵琶湖疏水:明治期に琵琶湖から京都に引かれた水路で、舟運や上水道・灌漑用水に利用されました。
●哲学の道:若王子神社から銀閣寺までの琵琶湖疎水沿い2km程の小道で、哲学者の西田幾多郎博士が愛し散策しながら思索にふけった事からその名が付きました。


●銀閣寺 12:16銀閣寺石碑090528_1216~01
文明14年(1482年)室町幕府8代将軍足利義政公により建立された臨済宗相国寺派に属する禅寺です。
義政公は祖父の3代将軍義満公の北山殿金閣(鹿苑寺)にならい、隠遁生活を過ごす為、山荘東山殿を造営したのが銀閣寺の発祥です。銀閣寺は俗称で、義政公の法号慈照院(じしょういん)にちなみ、正式名称を東山慈照寺となっております。

総門から中門に至る参道には長さ50m程の見事な石垣、竹垣、椿の生垣が左右に設けられています。
当日は雨にも関わらず見学者が多く、写真には「傘の花」しか写らない為、残念ですが撮影しませんでした( ̄ヘ ̄)


●観音殿[国宝]銀閣寺(観音殿)090528_1221~01
鹿苑寺の舎利殿(金閣)、西芳寺の瑠璃殿を踏襲し、本来、観音殿と呼ばれました。二層からなり、一層の心空殿は書院風。
二層の潮音閣は板壁に花頭窓をしつらえた禅宗様です。


●銀沙灘銀沙灘と向月台090528_1223~01向月台
波紋を表現した銀沙灘(ぎんしゃだん)と白砂の富士山型の向月台は、それぞれ月の光を集めたり、円錐形の形で月明かりを銀閣寺へ反射させたり、登ってお月見をする?等の諸説があります。

 ●洗月泉               ●お茶の井
 銀閣寺洗月泉090528_1227~01 銀閣寺お茶の井090528_1233~01
●洗月泉:庭園の隅に山腹から錦鏡池に流れ落ちる一筋の小さな滝がありました。
●お茶の井:この湧水で、お茶の水を汲んだとの事です。


●東求堂[国宝]東求堂090528_1228~01
東求堂(とうぐどう):義政公の持仏堂。現存する最古の一層の入母屋造り、檜皮葺きの書院造り。

●展望台からの眺め展望所からの眺め090528_1235~01

●展望台から洗月泉へ至る山腹銀閣寺庭園①090528_1240~01
銀閣寺は洗月泉の源の山腹までも苔生し、禅寺の趣を伝えていました。
●錦鏡池と銀閣寺銀閣寺と池090528_1243~01
当日は平成20年2月より2年間の屋根葺き替え及び部分修理(耐震)工事が行われており、残念ながら一層目は写真の通り工事中でした。

しかしながら、普段見る事は出来ない珍しい屋根の葺き状態を見学する事が出来ました。
  銀閣寺の屋根090528_1245~01  銀閣寺の屋根説明文090528_1245~02
現在は工事完了です。また、リニューアルした銀閣寺を見学したいですねo(^0^)!

再び銀閣寺前よりバスに乗り、知恩院前へ。

●念仏のふるさと知恩院(以下パンフレットより抜粋)
鎌倉時代に法然上人が住まわれ、念仏の教えを説かれた所です。
徳川家康、秀忠、家光公によって現在の寺域が形づくれらました。
全国七千の寺院と六百万人の檀信徒を擁する浄土宗の総本山です。

因みに、電波おやじの実家の菩提寺も浄土宗です。人(-_- )合掌・・・ 南無阿弥陀仏 

●念仏の元祖 法然上人
浄土宗は1175年法然上人によって開かれました。
法然上人は1133年に今の岡山県久米郡に生まれました。
「恨み、報復のない、全ての人々が救われる仏の道を求めよ」という父の遺言に従い、15歳の時に比叡山に登り仏道修行に励まれ、阿弥陀仏のご本願を見出しました。
それは『南無阿弥陀仏』と唱える事によって全ての人が救われる専修念仏の道でした。
上人は1212年に80歳で亡くなれました。


平成23年(2011年)は法然上人の800年大遠忌引(だいおんき)です。

●三門[国宝]知恩院三門090528_1409~01
14:09
高さ24m幅50m、木造の門としては世界最大級の門です三門「華頂山」山号額090528_1410~01
徳川秀忠公によって建てられました。楼上にはお釈迦様や羅漢様をおまつりしています。
「華頂山」と言う山号額が掲げられています。


●御影堂御影堂090528_1440~01
[国宝]14:40法然上人の御影を祀る知恩院の本堂。
寛永16年(1639年)に徳川家光公によって建てられました。堂内は4千人が入れる程広く、大扉の釘隠しの意匠などの趣向が凝らされています。

ずいぶん参拝される人達や報道の人がいる寺院だな?と思いながら三門から男坂の階段を登り御影堂へ向かうと…。
御影堂では当日は何故か?さだまさし作詞作曲『いのちの理由』090528_1446~01歌手のさだまさし氏が
薄暗い御堂の中で、お坊さんと法然上人について(ノ゜O゜)ノお話 と 歌を唄ってました( ^0^)θ~♪  
     さだまさし記者会見090528_1444~01

●方丈庭園[京都市指定名勝]方丈庭園090528_1451~01
僧坊・玉淵坊によって作庭されたと言われ、池泉回遊式の庭園で背景に迫る東山と共に情緒あふれる庭園です。
      方丈庭園と池090528_1457~01

●友禅苑14:17
宮崎友禅翁(友禅染の始祖)
ゆかりの庭園で、東山の湧水を配した庭と枯山水の庭で構成され、池の中央には観音像があります。また、茶席もあり、日本の伝統文化を伝える庭園となっております。
  友禅苑090528_1417~01  宮崎友禅像090528_1425~01

方丈庭園の後側の中腹には権現堂や千姫の墓がありました。

●権現堂権現堂説明文090528_1503~0115:03

権現堂に至る門の瓦にも、しっかりと徳川家の家紋「三つ葉葵」が入っていました。
  権現堂門090528_1504~01  権現堂塀090528_1509~01

●千姫の墓15:29千姫の墓090528_1529~01
●千姫:二代将軍 徳川秀忠の長女(1598-1664)
豊臣秀頼へ嫁ぎますが、元和元年(1615年)の大阪の陣より豊臣家滅亡後、実家の徳川家へ戻りました。翌年、本田忠刻(ただとき)と再婚し姫路城で暮らしますが、31才で忠刻とも死別した為、弟の三代将軍 徳川家光の元へ戻り、有髪の尼 天樹院と号して江戸城竹橋御殿で70才まで生きました。

●濡髪大明神濡髪大明神090528_1530~0115:30
火災から知恩院を守る、濡髪童子をお祀りしています。
また、「濡髪」という名の為、縁結びの神様としても信仰を集めています。

●拝殿[京都府指定文化財]15:35拝殿090528_1535~01
法然上人の御廟にお参りする為の拝殿お堂です。(-人-)南無阿弥陀仏

●せいし丸さま15:55せいし丸さま090528_1555~01法然上人幼少時のお姿の像です。

●ねねの道16:10ねねの道2009.5.28.1610
円山公園を通り高台寺へ、しばらくすると山の斜面に“ねねの道”の石柱が出て来ます。


鷲峰山(じゅぶざん)高台寺(臨済宗建仁寺派) 以下パンフレットより抜粋
東山霊山(りょうぜん)の山麓、八坂法観寺の東北にあります。
正式名称は高台寺寿聖禅寺、豊臣秀吉歿後、その菩提弔う為に夫人の北政所(ねね、出家して高台院湖月尼と号す)が慶長11年(1606年)開創した寺です。寛永元年七月(1624年)建仁寺の三江和尚を開山としてむかえ、高台寺と号しました。造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行ったので、寺観は壮麗を極めたと言われています。

しかし、度々の火災の為、現在残っているのは、旧持仏堂の開山堂と霊屋(おたまや)、傘亭、時雨亭、表門、観月台等で国の重要文化財に指定されています。

尚、北政所(ねね)は天正16年(1588年)に従一位に叙せられ、慶長8年(1603年)に後陽成天皇より高台院の号を賜り、寛永元年(1624年)9月6日76才で亡くなられました


●開山寺[重文]開山堂090528_1628~01
高台寺第一世の住持、三江紹益禅師(1572-1650)を祀る塔所。左右壇上には木下定家(ねねの兄)、雲照院(家定の妻)等の像も安置されている。礼堂部中央の彩色天井には北政所の御所車の天井、前方の格子天井には秀吉が使った御船の天井が用いられています。

●遺芳庵遺芳庵090528_1616~01
丸い「吉野窓」が特徴の茶席です。

●傘亭[重文]傘亭090528_1641~01
千利休の意匠による茶席であり伏見城から移建したものです。傘亭は放射状に組まれ、カラカサを開けた様に見える事からその名があり、正式には安閑窟と呼ばれてます。時雨亭とは土間廊下でつながっています。

■これからの電波おやじ自転車の「旅」の参考にしたいと思います。
 ご迷惑でなければ、コメントや拍手を頂ければ、大変幸せです。宜しくお願いします<m(_ _)m>
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プロフィール

55GATs

Author:55GATs
年齢57歳 男性 血液型O型 身長176㎝ 体重67.4㎏ 体脂肪率21.4% BMI21.8 内臓脂肪レベル7 体年齢41歳 未婚
某通信会社勤務 
趣味:①ロードスポーツサイクルでの全国縦断の旅。札幌~稚内を走破すれば「全国縦断達成」②1/144の戦車や飛行機スケールモデル造り。③読書(特に歴史時代小説)④映画観賞(但し、ホラー等の怖い、気持ち悪いのはダメ)⑤TV視聴:頭を使わない『白痴TV番組』等が多い。
⑥お酒は何でもOK(お付き合い程度)

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