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2010年東北道自転車の旅:平泉~青森・弘前編 PARTⅡ

■8月18日(水):4日目:晴れ
■08:56 巣子の松街道
午前中に距離を稼ごうと朝から日差しが強烈な国道4号線を一路二戸市へ向かう。巣子の松街道小高い坂をいくつか登り、また下り、牧場脇を盛岡市郊外へ出ると日陰で涼を取るのに調度よい巣子の松並木が出て来る。
巣子の松街道説明文

■09:29 盛岡市郊外から岩手山を望む
何気に後を振り返ると、有りがたい事に、岩手山が朝日を浴びて美しい姿を見せてくれた。
暑いのも忘れて、しばらく見とれてしまった(´∇`*)
盛岡郊外岩手山

■10:44 いわて沼宮内(岩手町)岩手町北緯40度
新幹線のいわて沼宮内駅を遠望する様に国道4号線を登って行く、北緯40度と岩手県の県名の由来を説明する記念碑があった。石神の丘

■12:05 十三本木峠
いわて銀河鉄道と並行する緩く長い坂?の峠道を登る。
道幅も片側バイパス規格で、交通量も少なくなので走り易い。
十三峠最高地点
高度が高くなっている為なのか?気温も30℃以上から28℃と下がっている事は大変助かる。
峠の頂上辺りで小休止…暑いσ(^◇^;)

■12:45 ドライブイン
峠道を下り、東北本線と平行して両側から山が迫る狭い田園風景の中をひたすら走る。
腹は減るし、頭の上からは夏の強い日差しが、ガンガン当り、また路面から照り返り、身体がジリジリと焼ける。
お昼頃には路面に蜃気楼の一種の『逃げ水』も出て来た。、誰かの歌にもある様に、所々に有るのはJA(農協)施設と農機具販売店だけ、コンビニやファミレスなどは影も形も無い。
有るのはこの国道脇のドライブインだけ。ドライブイン里山市場
干からびた身体で食堂に飛び込む。電気もつ点けずに奥で何かしているオバサンに『今日は休み?』と聞くとまさか?(教訓:人生には3つの坂がある、上り坂、下り坂、そして、まさか?)定休日との事だった…(゚ロ゚)~ガーン
『腹が減ってはペダルも漕げぬ』ので、店先のベンチで茹でトウモロコシ(100円)をスポーツドリンクで飲み下す。
ドライブイン串もち
その姿を見て、『可愛そうな人』と思ってくれたのか、店先のオバちゃんが売り物のクシで焼いたお餅(分厚いせんべい?)を恵んでくれました。『オバちゃん、人(- - )合掌・・・ 地獄に仏様、串もち、美味しかったョ』
写真を撮ろうと思ったが、恥ずかしがって隠れてしまいました。

映画:待合室(立)
この店舗に映画『待合室』のポスターが貼ってありました。
映画:待合室
冬になるとポスターの様な物凄い吹雪になる土地なんです{{ (>_<) }}

■13:04 奥州街道:川底一里塚入口
笹目子トンネル
笹目子トンネルを抜けると反対車線の入口付近の草むらに何か有るな?と見ると『奥州街道:川底一里塚入口』の標識がぽつねんと立っていました。誰もいない、こんな寂しい山道を昔の人は本当に歩いたのか?なと考えてしまう。


■13:48 馬仙峡
馬仙峡が国道4号線(奥州街道)に睨みを利かせる門番の様に見下ろしている様でした。
馬仙峡

■14:33 二戸駅前の食堂にて
高橋 克彦サイン
東北地方の歴史を題材にした著書が多く、これから見学する九戸城『秀吉にケンカを売った男』九戸政実の生涯を題材とした『天を衝く』の著者 高橋 克彦氏のサインが飾ってありました。

■九戸政実の乱
天正18(1590年)小田原北条征伐後に発生した南部家のお家騒動を発端とした『戦国最後の国盗り物語』です。

天正19年(小田原征伐の翌年)3月、九戸政実は南部一族でもあり、武将としても優れ、南部家の最強軍団を率いて南部宗家に対して兵力五千で挙兵しました。

政実軍を鎮圧す事が出来ない南部信直(26代目)は、秀吉に使者を送り九戸討伐を要請、秀吉は甥の豊臣秀次を総大将とし蒲生氏郷や浅野長政らの上方軍主力とする九戸仕置軍と、南部軍をはじめとするや奥州各大名との連合軍兵力六万が九戸城を包囲しました。

9月になっても城は落ちず攻めあぐね、更に陸奥の冬が近づいて来ている為、城内より先に食料難に陥り、包囲軍は苦戦しました。
包囲軍は九戸氏菩提寺(長光寺)の薩天住職を使者として、『開城すれば、城兵、女子供の助命』を条件に【偽りの和平】を提案しました。また、政実も『衆寡敵せず』の諺も有る様に、これ以上の流血を避けようと、覚悟の上、9月24日開城しました。

しかしながら、開城後、総大将の豊臣秀次の謀略により、三ノ迫(宮城県栗原市)で重臣7名と共に斬首され、更には城には火を掛けられ、城内の者は撫で斬りにされたと言われております。

■14:58 九戸城本丸跡
九戸城本丸跡
昼食のそこそこに九戸城へ向かう。そこは後世の様な立派な石垣や堀こそ有りませんでしたが、歴戦の勇士の姿を残してました。

■本丸隅櫓跡本丸隅櫓跡

■土井晩翠の『荒城の月』歌碑土井晩翠の歌碑
昭和19年(1944年)リンゴ狩りに訪れた土井晩翠が九戸城の悲劇を聞き、書き残した『荒城の月』の歌碑です。

■二の丸と本丸間の空堀

九戸城跡二の丸と空堀

■二の丸搦め手門跡二の丸搦め手門跡

■白鳥川を望む断崖
白鳥川を望む断崖
二の丸搦め手門跡から堀底道を通り、草むらの中を─(´)//藪蚊に悩みながら白鳥川の急峻な断崖を眼下に望みました。
■座敷わらしで有名な金田一温泉を目指して西日の中をダッシュε=ε=┏( ・_・)┛
見た者には幸運が訪れる、家に富をもたらすなどのご利益がある【座敷わらし】を一晩待っていましたが、出て来ませんでした。やはり、わらし=子供なので、□ヽ(*`0´)ノ彡☆ビールや日本酒を飲んでいたから出なかったかも知れません。
■本日の走行距離:90.82km

8月19日(木):5日目:晴れ
■09:08 青森・盛岡県境(三戸町)
陽射しは夏だが、空雲は秋へと少しづつ進んでいます。青森県三戸町

■11:02 櫛引八幡宮
建久3年(1192年)に八幡大明神を甲州より仮宮したのが始まりで、現在の社殿は1645(正保2)年に南部重直によって再建され、今日でも南部一の宮として南部藩(青森県南部・岩手県北部)の総鎮守として、多くの人々に尊崇されてきました。国宝・赤糸威鎧をはじめとした所蔵の宝物、国指定重要文化財の御本殿など、八幡宮全体が文化財となってます。
櫛引八幡宮鳥居

■拝殿櫛引八幡宮社殿

櫛引八幡宮お稲荷さん拝殿脇のお稲荷さんも鉢巻締めて暑そうでした。
■御神木
御神木
御神木説明文

■御神馬御神馬像
遥か古の昔より、奥州は兵馬の産地だけあって花崗岩の八幡馬が置いてありました。

■明治記念館(旧八戸小学講堂)
明治記念館(旧八戸小学講堂)
明治14年(1882年)8月に完成した八戸小学講堂は、青森県内最古の洋風建築で、講堂完成直後に明治天皇の東北御巡幸の行在所として用いられました。
昭和4年に「八戸市図書館」として使用され、昭和37年に櫛引八幡宮境内に移築され「明治記念館」として現在に至ってます。


■11:57 八戸市 根城
八戸市根城の歴史南部師行像
八戸市根城
■根城本丸跡
根城本丸

夏の甲子園を見ながら昼食後、市役所と隣接する八戸城址へと向かう。
■13:53 八戸城跡
八戸城址
南部八戸藩2万石の居城・八戸城
■14:19 八戸城址本丸跡八戸城本丸跡

八戸城説明文

■築山の公園本丸公園
公園では真夏の太陽の下、子供たちが元気に池で水遊びをしてました。

■南部直房像南部直房像
陸奥国八戸藩の初代藩主。盛岡藩初代藩主南部利直の七男として生まれ、宗家盛岡藩の南部重直が継嗣を定めずに亡くなり、本来絶家となるところ、幕府は家柄を考慮して、重直の二人の弟、重信と直房に、盛岡10万石を8万石と2万石に分割相続させ八戸藩が成立しました。

■旧南部子爵邸表門(八戸城角御殿表門)
市役所の脇に大きく立派な門が建ってました。
旧南部子爵邸表門

■15:39 開運橋(奥入瀬川)

開運橋(奥入瀬川)
八戸城址を後にして、馬渕川を渡り国道45号線を北上する。頭上では海上自衛隊の飛行機が鳶の様に旋回している。田園風景の中を海岸ルート(県道19号線)を選択して、次の宿泊地の三沢に一刻も行かなくいては…思っていると、いつの間にやら開運橋で奥入瀬川を渡っていた。


■16:33 青森県立三沢航空科学館三沢航空科学館モニュメント
人気の無い風景を見ながら国道338号線で青森県立三沢航空科学館に到着。入口には人類初の太平洋無着陸横断飛行を成し遂げたミス・ビードル号と米外国人パイロット、クライド・パングボーンとヒュー・ハーンドンのモニュメントがありました。
塔の高さは、ミス・ビードル号が飛んだ1931年にちなみ、19.31mになっています。


■ゼロ戦(大日本帝国海軍零式艦上戦闘機)のイベントが開催されてました。
ゼロ戦

■コックピット
コックピット前コックピット後
コックピットは想像以上に狭く、メタボな身体では入りません。

ゼロ戦(後部)

■航研機
単発機であるにも関わらず、翼の大きさと川崎12気筒V型液冷800馬力×1の小さいエンジンで飛行した事に驚かされました。
航研機
1938年(昭和13年)5月13日午前4時55分、弘前市出身の藤田雄蔵少佐の操縦で、千葉県木更津飛行場を離陸。千葉県銚子、群馬県太田、神奈川県平塚を結ぶ一周401.759kmのコースを29周して、周回航続距離世界記録11,651.011kmと、10,000kmコース速度世界記録186,197km/時の国際記録を樹立し、15日午後7時18分、滞空時間62時間22分49秒で木更津飛行場に帰着しました。 機体に収納する完全引込み式主脚は、長距離実験機としては、世界初でした。

■YS11
小学校の時代にプラモデルで作ったな!!
YS11.jpg
1962年(昭和37年)試作1号機が初飛行し、1965年(昭和40年)初の国産実用機として国内線に就航しました。その後、1973年(昭和48年)まで、182機が生産されて、世界の航空会社に採用されました。YS-11の名は、輸送機設計研究協会の輸送の「Y」、設計の「S」、エンジンと翼の設計で、それぞれ1番目の案を採用したことから「11」(いちいち)と命名されました。
コックピットYS11キャビン

■ミス・ビードル号
ミス・ビードル号ミス・ビードル号説明文この小さい機体で太平洋を横断した2名のパイロット(クライド・パングボーンとヒュー・ハーンドン)の勇気に敬意を表します!!
ミス・ビードル号正面

■大空ひろば
■F-104J
F-104J.jpgF-104Jコックピット
F-104は、航空自衛隊最初の超音速軽量小型戦闘機。1958年にデビューし、当時高度27.8km、速度2259km/hという世界記録を作りました。
■F-16AF16.jpg
1974年の原型機初飛行以来約4,000機以上が生産された戦闘機。示されているF-16AはF-16の最も古いタイプA型で、米空軍より借受したものです。現在三沢基地で使用している機体はF-16CJプラスという最新型です。

■T-2(ブルーインパルス仕様)
T-2ブルーインパルス
昭和57年1月から平成7年12月まで航空自衛隊ブルーインパルス機として使用して、各基地航空祭等で展示飛行を披露してきました。

■UP-3AUP-3A.jpg
P-3は、ロッキード社L-188エレクトラ4発ターボプロ旅客機をベースとして開発された大型対潜哨戒機です。展示されている飛行機は、P-3オライオンと同型機でありますが、米海軍第7艦隊司令官が移動用に使用していた飛行機で、P-3本来の対潜哨戒機と仕様が異なっています。

■F-4EJ改
F-4EJ改
F-4EJ改戦闘機は、昭和46年(1971年)から航空自衛隊で使用されたF-4EJ戦闘機の改修型で、レーダーやアビオニクスの能力を向上させた支援戦闘機です。この戦闘機は、対地/対艦攻撃能力にも優れており、ベースのF-4型戦闘機は、世界12カ国で採用されました。
 
■本日の走行距離:90.12km


8月20日(金):6日目:晴れ
三沢市辺りまで北上すると、昼と夜の温度差は思ったより大きく、昼は蝉と夜はコウロギの鳴き声を聴くことが出来る。
暑くならないうちに宿を出て昨日同様、高低さの少ないと思われる海岸側の主要地方道八戸・野辺地(県道8号)線をルート選択した。

■09:11 小川原湖
やっと小川原湖へ到着する。ここに来るだけで冷凍したスポーツドリンクもお湯みたくなっている。
小川原湖入口

小川原湖:立
景色が素晴らしい、いい天気だ!ツーリングでなければ、ビールでも飲んで一眠りしたいものだ!!小川原湖:横大和しじみや、ワカサギを漁っているのかな?

■ 県道8線(09:32小川原~10:05 野辺地間)
県道8号線:1
田園風景が素晴らしい!
思っていたのもつかの間、熊(^(エ)^)が出てきてもおかしく無い情景…人家もまばら、走る車もほとんど無い薄暗い森林の県道を通る。
県道8号線:2
聞こえる音は、路面を擦るタイヤとチェーンやべダル他には、たまに頭上を飛んでいく米軍の戦闘機の轟音だけ。
柄にも無く、喉も渇き、少し心細くなって来た…。

野辺地まで○○kmとの標識が見えて来た。まだ○○kmか~?!県道ではなく、人家がある国道を走ればと後悔先に立たず。

水分補給の為、痛そうなキズ跡(熊にでも引っかかれたのか?)の残る自動販売機を発見するも、冷たいのもは全て売り切れ、悲しい点灯。有るのは何故か?HOTコーヒーがあるばかりなり…悲惨(>_<)

■11:16 津軽・南部藩 藩境塚跡奥州街道碑
やっと国道4号線と合流して森林地帯を抜けると反対車線に奥州街道の石柱が有るのに気が付き回り込む。
■馬門御番所番屋
■高札場高札場

■藩境塚跡
藩境塚説明文

藩境
脇の小高い丘(塚)を下ると、小さな小川を間にして津軽・南部領藩の藩境跡が陸奥湾を背にして仲良く建っいた。
津軽藩南部藩
明治維新迄は両藩はスゴク仲が悪かったとの事です。

反対車線右側に時々見える美しい陸奥湾沿いに東北本線と平行して青森方面へ向かう。
道路脇の所々に何か白い山が現れる。良く見るとホタテの貝殻だ。砕いて肥料か何かに使うのだろか?

■ほたて広場海浜公園ほたて広場海浜公園
橋の上で小休止中、橋下で海底まで見える程きれいな海で海水浴をしている親子連れ達を眺めると、ここにも【ほたて広場海浜公園】と表示している。
青森の人は、相当美味しいホタテを食べるんだ!と羨ましい…私も食べるぞ!などと考えてながらペダルを漕ぐ。

■浅虫温泉浅虫温泉
1190年にこの地を訪れた円光大師(法然)が、傷ついた鹿が湯浴みするのを見て村人に入浴をすすめるまでは、布を織る麻を蒸すためだけに使われていました。それ以来人々に利用されるようになりました。、「麻蒸」が転じて「浅虫」になったといわれています。浅虫温泉前
温泉の効用:神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・運動麻痺・関節のこわばり・うちみ・くじき・慢性消化器病・痔疾・冷え性・病後回復期・疲労回復・健康増進。時間が有れば立ち寄りたかったです。

■みちのく北方漁船博物館みちのく北方漁船博物館
高さ約30mの展望台、国の重要有形文化財67隻を含む約200隻の木造船を収蔵する日本最大の漁船博物館。
青森到着、とりあえず、海へ港へ向かう。
北前船みちのく丸が停泊する岸壁でおジーちゃん3人組が投げ釣りをしていました。
青森湾釣りおやじ
今日の釣果は?と尋ねると『先日までの大雨で海が濁っている?』とかで、『小さいサバが7~8匹ほどだよ!猫のエサさ!』と答えてくれました。確かにクルマの脇で2~3匹の猫がアクビしながら、『早く食わせろ』と言う
様な顔していたのが可笑しかった。
魚も小さい割には色艶が良く、猫のエサではなく天婦羅やフライにしても酒の肴にしても美味しそうだと思いました。今夜の肴はこれで決まりだな!!

■14:49 青森ベイブリッジ青森ベイブリッジ

■15:01 海の記念日 発祥の地海の記念日発祥の地
明治9年(1876年)に明治天皇の東北地方巡幸の際、灯台巡視の汽船の明治丸に乗船して航海し、青森港から函館を経て横浜港に到着した日を当初7月20日を国民の祝日としました。現在は2004年(平成16年)から7月第3月曜日が祝日です。
海の日説明文

東郷平八郎の碑
海の日の記念日の史跡や何故か旧大日本帝国海軍東郷平八郎海軍元帥の碑がありました。錨

■15:08 青森県歴史街道の図
青森県歴史街道の図
吉田松陰の足跡を軸に津軽南部の史跡文化財等を図示したものです。

■15:25 青函連絡船 八甲田丸
八甲田丸
近くで見ると思ったよりデカイ!これで昔、青森~函館まで津軽海峡を渡ったんですね。今でもフェリーで海峡を横断するには4時間ほど掛かるとの事です。

■津軽海峡冬景色の歌碑八甲田丸と津軽海峡冬景色石川さゆりの歌で有名な津軽海峡冬景色の歌碑が係留されている八甲田丸の近くの公園にありました。

■本日の走行距離:88.97km

おまけ■まぐろ刺身
今夜はこれを肴に(*^¬^*)ノ□ もう一杯!
まぐろ刺身

PARTⅡ 青森~弘前編へ続く!
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プロフィール

55GATs

Author:55GATs
年齢56歳 男性 血液型O型 身長176㎝ 体重67.4㎏ 体脂肪率21.4% BMI21.8 内臓脂肪レベル7 体年齢41歳 未婚
某通信会社勤務 
趣味:①ロードスポーツサイクルでの全国縦断の旅。札幌~稚内を走破すれば「全国縦断達成」②1/144の戦車や飛行機スケールモデル造り。③読書(特に歴史時代小説)④映画観賞(但し、ホラー等の怖い、気持ち悪いのはダメ)⑤TV視聴:頭を使わない『白痴TV番組』等が多い。
⑥お酒は何でもOK(お付き合い程度)

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