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2010年山陽道自転車の旅 PARTⅡ

●3月のお彼岸に京都~播州赤穂まで走破後、どうしても本州から九州へ渡りたくなり、GW(5月1日~9日)に前回の最終地である播州赤穂から福岡博多まで山陽道PARTⅡを行いました.

■5月1日(土)晴れ

東京07:03発岡山行ひかり461号で相生まで行き、赤穂線に乗換え播州赤穂まで輪行する。
11:42播州赤穂到着。

地元名物『播州赤穂塩ラーメン』で昼食後、人通りがほとんど無い駅前で自転車を組み立てる。
組み立てを物珍しさそうに見ている、客待ちタクシーのオジサンに『岡山はどっち方向ですか?』と尋ねる。『駅前の道をひたすら西に向かうと途中で国道250線にぶつかるョ!』『本当に岡山まで自転車で行くんか?気~つけて』とのエールを贈られる。
田舎のこの大雑把な感じが良いですね!これからの旅が楽しみだ!!

12:56【大石神社】
岡山へ向かう前に、前回の最終到着地の播州赤穂城と大石神社で『旅の無事』を祈願。
前回の雨天と違い、焼けるような快晴の中、いざ出発!!


大石神社
【大石神社】
【大石内蔵助像】
大石内蔵助像

13:03【赤穂城】 赤穂城

早朝から5時間も電車に乗っていたので少し身体がだるく、尻も痛いが、天気快晴なれど風強し!の中、瀬戸内海を左手に見ながら順調に西へ向かう。

14:01【日生(ひなせ)港フェリー船】
途中で日生(ひなせ)の港で渡し船(日生~小豆島間)を眺め小休止。海の無い埼玉県で生まれ育った為か、この歳になっても海や渡し船が珍しい。渡し船と言っても【矢切りの渡し】のような小さな舟ではなく、外洋も走れる様なフェリー船でした。

日生(ひなせ)港フェリー蛯吝燕辟シ遯ッ_convert_20100530171113

14:58【備前焼窯元】
のどかな田園風景の中、遠くにエントツが見えて来る。近づくと備前焼の窯元のエントツだ。備前焼の里は今日も備前焼を求めるお客さんで満員御礼。
国道250線から国道2号線へ入ると、順風!調子が出て来た!
途中【備前長舟刀剣博物館】の看板があったので覗いてみる。

15:24【備前長舟刀剣博物館】
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今も昔ながらの製法で刀を造っており、館内には小刀を作成する教室も開催されていた。
男性に混じって、一心不乱に髪を振り乱し、良く斬れそうな小刀を研いでいるΨ(`∇´)Ψキツイ眼の女性と目が合ってしまった。近頃物騒なので、『試し斬り』や『刺されるかも知れない』逃げる~~~(ノ><)ノ

吉井川の手前で左に折れ、国道2号線と分かれ県道464号線へ入る。
土手の上をしばらく走ると【黒田管兵衛ゆかりの備前福岡】の看板が出て来た。

15:42【黒田管兵衛ゆかりの備前福岡】
黒田管兵衛ゆかりの備前福岡
【黒田管兵衛】:歴史好きなら言わずと知れた羽柴(豊臣)秀吉の名軍師。
後に筑前福岡藩の基を造る。司馬遼太郎の『播磨物語』で岡山県出身とは知っていたが、彼の故郷がこの辺りとは知らなかった。筑前福岡の名の由来はここから来ているとの記載あり。

更に瀬戸内海へ進むと【福岡の市跡】跡の碑も出てきた。

15:51【福岡の市跡】福岡の市跡
鎌倉時代『一遍上人絵伝』で一遍上人が立ち寄り、豊かな街として紹介していた。
現在は、堤防で吉井川と町は分断されているが、彼らがいた時代は田畑多く、瀬戸内海へも近い為、山海のものは十分手に入る豊かな土地であった事は十分想像できる。

向かい風に苦しめられながら再び国道2号線と合流し岡山市内へ入る。

16:52【点字ブロック発祥の地】
岡山城・県庁方面へ右折する為交差点で止まると、【点字ブロック発祥の地】のモニュメントがあった。
日頃見ている点字ブロックの発祥の地が岡山にあったとは…驚きでした。(大阪か名古屋辺りだと思ってました。)轤ケ蟄励ヶ繝ュ繝・け縺ョ遒狙convert_20100530180534
だから旅は面白い!

17:11【夕暮れの岡山城へ到着】
烏城と言われているだけ確かに黒い。夕暮れの岡山城
日が伸びたせいか、17:30過ぎにも関わらず桜川を挟んだ向こう岸の岡山後楽園からなごり惜しそうに多数の観光客が出て来た為、土手の上は人混みで動きが取れない…早く旅埃を落として一杯やりたい!!

■本日の走行距離:65.38Km

旅装を解き、夜の岡山の街へ…。やはり…これでしょう!!


飲み放題中オロナミンC看板

店内は、昭和30年代のCMソングや懐かしい音楽もかかっているレトロな雰囲気の面白いお店でした。
【何故か懐かしい?映画のポスター】
譏
【高級ネコまんま】繝阪さ縺セ繧薙∪_convert_20100530224253
お酒の後の締めは、これ!鰹節が効いて美味しかった(=^・^=) !
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■5月2日(日)晴れ
岡山07:24発JR吉備線総社行きで備中高松へ。JR蜷牙y邱售N3J0378_convert_20100530230259
車輛は一輌で入口は前後2か所、ボタン式の半自動ドア、トイレも付く長い座席が特徴のレトロな車輛でした。
市街地を抜けると山と田園風景がすぐに目に飛び込んで来る。高い建物が無いので異様に空が広く、青空に鮮やかな一筋の飛行機雲が引かれていました。

07:34備中高松到着。
駅前には備中高松城址、水攻め、清水宗治等の観光案内が掲示れており、同地見学を回り易くしている。まずは、羽柴秀吉が造ったと言われる【高松城水攻め史跡公園】へ向かう。

08:10【高松城水攻め史跡公園】水攻め史跡公園
1582年(天正10年)羽柴秀吉が毛利方の清水宗治を守将とする高松城を攻めあぐね、高さ8m堤の上部の広さ12m、長さ3kmの堤を造って水攻めにしたと言われてます。

【高松城址高さ表示版】     【堤遺跡跡】
堤高さ表示板堤史跡

初夏を思わせる5月の太陽が頭上より降り注ぐ中、道案内通りに15分程行くと【備中高松城址公園】に着く。
公園は浮城と言われた様に【宗治蓮】が池一面にあり、(残念ながら季節外れの為花は咲いてはいなかった。)池にはやたらとオタマジャクシがいた。彼らがカエルに成長したら、さぞかし賑やかな事だろう。

08:35【備中高松城址公園】
高松城址公園

【宗治蓮】
宗治蓮
昭和57年岡山市が同史跡の復元整備を行い、その後400年以上も地下に眠っていた蓮が自然と花を咲かせたとの事です。城兵および領民5000名を救う為、水攻めに散った城主清水宗治公の人望の篤さと歴史ロマンを感じました。

【清水宗治首塚】
今日も花が手向けられ、墓前を通る人たちは必ず合掌されてました人(-_- )400年経っても地元のお殿様なんですね。宗治首塚

【清水宗治辞世】宗治辞世の句
浮き世をば今こそ渡れもののふの 名を高松の苔に残して

【水攻め音頭歌碑】
水攻め音頭
公園内を散策していると【水攻め音頭】なる歌碑がありました。
いくら何でも、地元振興策や観光客を呼ぶ為、ここまでやらなくてもと思います。
もしかしたら【水攻め饅頭】とか、【水攻めアイス】なるものが有るかも知れません。

09:50備中高松発JR吉備線岡山行きで吉備津へ。09:53吉備津着

09:43【吉備津神社】
駅から松並木の中を徒歩5~10分程で着きます。
当日は日曜日にも関わらず、子供たちを含む地元の皆さんが神社までの参道を綺麗に掃除されておりました。
頭が下がります。

【吉備津神社】
吉備津神社①
備中の国の一の宮。大吉備津彦大神を主祭神とする山陽道屈指の大社です。
大吉備津彦大神は、崇神朝四道随一の将軍として、おとぎ話『桃太郎』基とも云われ、温羅(うら)を退治したとされてます。古来より、吉備国開拓の大祖神として尊崇され、吾国唯一の「吉備津造り(比翼入母屋造)」の勇壮な社殿、釜の鳴る音で吉凶を占う鳴釜の神事、また桃太郎伝説のモデルなどで知られています。
吉備津宮吉備津神社②

【温羅(うら)】
一説には百済の皇子と言われ、目は狼の如く輝き、髪は赤々と燃えるが如く、身長は一丈四尺、腕力強靭、性格粗暴凶悪、新山に城を築き都へ向かう船や婦女子を襲い、人々は温羅の居城を『鬼の城』と呼び恐れました。
大和朝廷は武勇の誉れ高い五十狭芹彦命(ひこいさせりびこのみこ:大吉備津彦の本来の名)を派遣し、温羅(うら)討伐しました。

【鳴釜神事】
この神事の起源は大吉備津彦大神(以下、命と略す)の温羅(うら)退治のお話に由来します。
温羅は曝(さら)し首となっても大声をあげ唸り、髑髏にしても唸り声は止まず、ついには当社のお釜殿の釜の下に埋めても唸り声は止まなかったとの事です。
命は困り果てていた時、夢枕に温羅の霊が現れて『吾が妻、阿曽郷の祝の娘阿曽媛をしてミコトの釜殿の御饌を炊がめよ。もし世の中に事あれば竃の前に参り給はば幸有れば裕に鳴り禍有れば荒らかに鳴ろう。ミコトは世を捨てて後は霊神と現れ給え。われは一の使者となって四民に賞罰を加えん』とお告げになりました。命はそのお告げの通りにすると、唸り声も治まり平和が訪れました。これが鳴釜神事の起源であり現在も随時ご奉仕されてます。

神事は神官と阿曽女と二人にて奉仕しており、当日も阿曽女(あぞめ)が釜に水をはり、湯を沸かし釜の上にはセイロからはもうもうと湯気が上がってました。
吉備津神社お釜
この神事に仕えているお婆さんを阿曽女(あぞめ)といい、鬼の城の麓に阿曽の郷があり代々この阿曽の郷の娘がご奉仕しているとの事です。但し、神聖なる釜殿内では写真撮影は出来ませんでした。

命と温羅(うら)の戦いでは、命が矢を射掛けても温羅(うら)は岩をぶつけて落としてしまう為、命は2本の矢を同時に射て温羅の左目を射抜き、温羅が雉に変化して逃げたので命は鷹に変化して追い、また温羅が鯉に身を変えて逃げたので命は鵜に変化してついに温羅を捕らえる事ができました。温羅を噛み上げたところには鯉喰神社があります。

【矢喰宮】
矢置石
命が射た矢と温羅が投げた岩が空中で衝突し落ちた処(ところ)この戦の時、吉備津彦命がその矢を岩の上に置いたのでこの岩を矢置岩と言われております。

吉備津神社から鶯谷の囀ずりをBGMにして、中国山地と麓の田園風景を遠望しながら歩く事30~40分、吉備津彦神社に到着。

10:44【吉備津彦神社】
吉備津彦神社鳥居
備前の国の一の宮。こちらの神社も大吉備津彦大神を祀っている神社です。
吉備津彦神社こいのぼり
当日は子供の日も近い為、駐車場には鯉のぼりが五月晴れの空を泳ぎ、また、本日はお日柄も良い様で神前結婚が行われておりました。
吉備津彦神社社殿

【さざれ石】さざれ石
日本国国歌の中に出て来る【さざれ石】が有りました。

【桃太郎一行の像】吉備津彦神社桃太郎
駐車場の端に何気に建ってました。 桃太郎が何だか弱そうな感じ…。

JR吉備線で岡山駅に戻る。
駅前の【桃太郎】駅前桃太郎一行
一行にはハトまでお供に加わってました。
陽気の為か?銅像の下では制服姿の女子高校生が、桃太郎のポーズを真似してキャーキャー騒いでおりました。ヘ(^o^ヘ)(/^o^)/

岡山電軌(市電)に乗り岡山城や後楽園へ向かう!

桜川を渡り【後楽園】の入場券受付へ向かうも、連休の人混みの為、かなかなか入場出来ない(>д<)

12:51【後楽園】後楽園つつじ①
岡山城に隣接する庭園で、水戸の偕楽園、金沢の兼六園と共に日本三名園と言われてます。後楽園滝
庭園は想像していたよりも遥かに広く、人工的に造られた滝の流れもあり、思わず足を止めて見いる程に、色とりどりのツツジや菖蒲の花が見事に咲いてました。後楽園つつじ②

13:25【岡山城】
戦国~織豊時代に宇喜多 直家、秀家が桜川沿いに建てた城郭で、外観の黒漆塗の特徴から「烏城(うじょう)」とも呼ばれました。
岡山城踊り
見学した当日は昔ながらの露店出店に子供達が群がり、天守閣の下では地元女性が青空の下、岡山音頭?か何かを踊ってました。岡山城露天

太陽は西に傾いたが、駅帽をかぶったネコマークの【市電】に飛び乗り岡山駅まで戻り、JR山陽線で古い【街並み】で有名な倉敷に向かう!岡山市電ねこ

14:28【倉敷街並み】
海鼠塀倉敷スワンと倉敷の川辺
青空、海鼠(なまこ)壁、古い街並み、そして清らかな川の流れ、と人混み中、朝8時からの強行軍の為、さすがに疲れて来た(-_-;
倉敷川辺

気合いを入れ直す為【星野 仙一記念館】を見学。入口で【とラッキー】がお尻振ってお出迎えしてくれました。
ここで初めて吉備団子とお茶を戴き一服。
トラッキー記念館星野仙一記念館
館内ではトラきち達が食い入る様に星野さんの野球に掛けた熱き【夢】【歴史】を見学してました。

夜は昨夜と同じ、飲み放題中
これでした(^O^)v
俺は待ってるぜ
店を出ると裕次郎に【俺は待ってるぜ】と声をかけられてしまいました。
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■5月3日(月)晴れ
今日も朝から快晴、暑くなりそうだ!
午前中に距離を稼ごうと国道30号線で瀬戸内海方面へ、いつしか道は国道2号線と合流し【瀬戸内海】を遠望する。

09:59【瀬戸内海遠望】瀬戸内海笠岡方面遠望

国道沿いに瀬戸内海と笠岡の街が見えて来た。海が綺麗だ!

11:06【笠岡の渡し船】
笠岡港

【事務所】味わいのある、(悪く言えば崩れそうな)二階建ての事務所でした.笠岡渡し船事務所

【高架下の電車】笠岡架橋下電車
児童公園に何故か昔の電車が置いてありました。

12:59【福山城址】
街中あり、また国道2号線からも少し離れている為、なかなか発見出来なかった。
坂をだらだらと登り、天守閣に到着。福山城①
福山城史跡説明
天気が良すぎて暑くてたまらない(;^^A 身体が焦げそうだ!ズボンに白いものが付着しているのを発見!!
何だ?塩だ…(゚o゚)!
木陰に自転車を止め休んでいると、地元のオヤジが『兄ちゃん何処から来たんだ?何処行くんだ?』と声をかけて来る。『福岡博多まで』と答えると、珍獣でも見る様な目で『博多~?』『気いつけて』と励ましをもらう。

13:06【福山城と電波おやじ】電波おやじと福山城SN3J0512(2)
地元のボランティアの方に撮ってもらいました。

国道2号線をひたすら西へ進み山道、赤坂バイパス~松永道路へ入る。

歩道の道幅も広く、坂道を登ったり下ったり、苦にはならないがトンネルだけは戴けない(;`<´)・:∴ 排気ガスでノドが苦しくなる。早くトンネルを通過しなくては…と焦る 。気持ちを抑えて確実に【前だけを見て】前進!
やっとの思いでトンネル抜け、汗顔を拭くとタオルが少し薄汚れて黒くなっていた。

瀬戸内海方面の県道54号線~(旧道)国道2号線経由で尾道を目指す。
途中で海がちらりチラリ目に映る。もうすぐだ!尾道で一息入れよう!!

14:41【新尾道大橋・尾道大橋】の下をくぐり、『坂の町』尾道市内へ入る。

新尾道大橋
尾道と向島を結ぶ橋で、手前が【新尾道大橋(自転車通行不可、歩道無し)】向こう側が【尾道大橋(自転車通行可通行料金10円)】下から見ると両橋共に、橋桁まで高く(怖いので)自転車での走行は遠慮したい…。

14:53【森 芙美子像】
の『放浪記』同様、今日も自転車でフラフラ放浪的な旅してます。森芙美子像

左に瀬戸内海、右に千光寺と名物の坂(階段)を見上げながら山陽本線と並行して西に進む。

15:37【三原城跡】
到着早く着きすぎた…宿にTELするも誰も出ない┐(´~`;)┌ とりあえず、お城でも見ましょう!
三原城址①

【三原城】
三原城図面
三原城絵
1580年(天正8年)戦国時代に小早川隆景により築城され、当初は城全体が海に接しており【浮城】とも呼ばれていた。現在、本丸をJR山陽本線と山陽新幹線貫き、JR三原駅が崩している。
明治政府の鉄道敷設計画には利便性しかなかったのかと、何故か悲しくなって来る。

【小早川隆景像】小早川隆景像
毛利隆元(長兄)吉川元春(次兄)小早川隆景(三男)の3人の息子に三子教訓状で【三矢の教え】「1本の矢では簡単に折れるが、3本纏めると容易に折れないので、3人共々結束すること」を説いた事で有名な毛利元就の三男。
吉川元春(次兄)毛利の両川として元春と共に毛利氏(本家)の発展に尽くした毛利水軍の将。隆景広場
本能寺の変から備中高松城の水攻め、和議の後、羽柴(秀吉)軍を追撃するべきとした毛利・吉川軍の中で「誓紙の血が乾かぬうちに追撃するのは不義であり、信長の死に乗ずるのは不祥である」と主張したため、毛利軍が羽柴軍を追撃しなかった。後に秀吉の信任を受け、五大老の一人となる。

【瀬戸内三原名物:たこのから揚げ】三原タコの唐揚げ
名物のタコを肴に晩酌、身が締まっていて歯ごたえがありました。(^¬^)

【元気ダコ】元気タコ
町の至るところにタコ≡(・◎・)≡がいました。

■本日の走行距離:112.06Km
■累計走行距離 :177.44km

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■5月4日(火)晴れ
どのTVチャンネルでも天気予報は相変わらず『今日も朝から暑くなるでしょう…。』少し曇っていた方がツーリングは楽なんだが…。

当初内陸側のルート(国道2号線)を考えていたが、折角、瀬戸内に来たのだから海を見ながら走るルート(国道185号線~国道31号線)経由で呉~広島へ向かう事とした。
路面状態も良好で海岸線をJR呉線と競う様に快調に距離を稼ぐ!

09:02【幸崎町:有龍島、ナメクジウオ生息地方面遠望】ナメクジウオ
ナメクジウオ:国天然記念物、扁平な紡錘形をしており,体色は淡桃色で,体長5?ぐらいである。原索動物門の頭索綱に属し,脊椎動物の原始形態をなすものとして,動物進化・発生学上貴重な研究資料とされています。

09:13【幸崎町:ここからJR呉線と一旦分かれルートは内陸へ】
幸崎町
木漏れ日の中、人ひとりいない国道185号線を進む。

09:26【忠海(ただのうみ)港】忠海港
戦時中毒ガスを製造していた為、地図に記載されていなかった大久野島や※鶴姫伝説で有名な大三島へ渡るフェリーが到着するところ。
※鶴姫伝説:河野氏、1541~1543年(天文10~12年)戦国時代、周防の戦国大名の大内義隆の軍を敗走させ、18歳で自決したとされているジャンヌダルクの様な女傑です。

10:18【竹原の街並み】

竹原街並み
安芸の小京都と称され、当日は町並み保存地区で『竹まつり』の癌封じ笹酒の振舞もありましたが、残念ながら自転車なので飲めませんでした。

ひたすら国道185号線で呉を目指す(`´) 休山新道(トンネル1.7km)を抜け呉市内で昼食(親子丼とうどんのセット)

13:51【鉄のくじら】
潜水艦側面
呉市内で国道185号線~国道31号線に入り呉港方面へ向かうと正面に潜水艦?が見えた!なんで潜水艦が陸(おか)に上ってるんだ?車と比較してもでかい!潜水艦正面
「海上自衛隊呉史料館(愛称:てつのくじら館)」は、「潜水艦の発展と現況」や「掃海艇の戦績と活躍」などを展示しているとの事です。

13:57【大和ミュージアム】
全長26.3mの10分の1の戦艦大和 や呉軍港・街並み、その他ゼロ戦等が展示されていました。(゜_゜)スゴイ!

【戦艦大和】
子供のの頃、プラモデルでよく造って、風呂に浮かべて遊んだな~。
戦艦大和

大和前部大和後部

【戦艦大和:砲弾】
人より大きい!こんなのが当たったらどんな艦船も一発で轟沈するな。大和46㎝砲弾

【ゼロ戦】
旧帝国海軍 零式艦上戦闘機62型  21型、32型、52型はプラモデルでよく造った。
ゼロ戦

【宇宙戦艦大和:正面】宇宙戦艦ヤマト正面
波動砲を打ちます(>_[・])

【宇宙戦艦大和:側面】WARPしてイスカンダルへも行けます!
宇宙戦艦ヤマト側面

【空母:赤城】空母赤城

【空母艦載機:九七艦攻】
九七艦攻
これもプラモデルで造りました。

【局地戦闘機:紫電改】紫電改

【イ400潜水艦】
イ400潜水艦

15:07【自衛艦】自衛艦
本物が沖に停泊してました。

15:33【ドンキホーテとサンチョパンサ像】
ドンキホーテ
この暑いのに甲冑を着ているドンキホーテに合いました。

国道31号線に乗り一路広島市内へラストスパート!市内の通りには露天が立ち並び、『歩行者天国』以上に人が道にあふれていた、『ひろしまフラワーフェスティバル』の期間中(5/3~5/5)の影響との事でした。
人を掻き分け今日も無事、宿に到着。

■本日の走行距離:110.91Km
■累計走行距離  :288.35km

夜は名物のお好み焼きを食べに昼間のお祭りの余韻が残る繁華街へ繰り出す。

20:12 ロンドン
昔の深夜TV放送のCMで見たキャバレーロンドン 今も残ってるんだ…(゜ロ゜)
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■5月5日(水)晴れ
07:45なか卯で朝飯。
08:14中国電力本社前駅で【市電】広島市電
に乗り広島駅、08:34JR山陽本線へ乗換え【帯錦橋】【宮島】へ向かう。
これらは以前から一度は見学したいと思ってました。(まさか自転車で広島まで来るとは思っておりませんでしたが…。)駅には子供の日でもあるのか、広島カープの赤帽をかぶった子供と海外からの観光客が多数詰め掛け、電車はどれも満員状態で息苦しい。

09:24岩国駅に着くと異様に子供が多いのに気づく。そして突然耳をつんざくジェット機(米海兵隊のF16)の轟音が頭の上を通過する~l(>ロ<)l~

地元の人に聞くと、今日は『子供の日』なので米軍が岩国基地を解放して『航空イベント』をやっているとの事、駅から基地まで5分もおかず岩国市の送迎バスが出るくらい親子連れが多い。子供も大人も飛行機好きだからな…。

10:03【帯錦橋】
錦帯橋①
吉川広家が錦川にかけた岩国城と城下町をつなげる木造のアーチ橋 。
錦帯橋②

日本三名橋(東京:日本橋、長崎:眼鏡橋)日本三奇橋(山梨:甲斐の猿橋、日光:神橋)に数えられる美しい橋です。

錦帯橋③錦帯橋階段
※橋は階段低くいがアーチの角度は見た目よりきつい為、記念撮影に夢中になって油断して階段を下るとコケます。

錦川には屋形舟が浮かび、山頂には岩国城が見える。
錦帯橋屋形舟

11:30吉香公園 (きっこうこうえん)を抜けケーブルカーで岩国城へ登る。麓に【帯錦橋】が黄砂で霞んで見える。

11:35【岩国城石垣】
岩国城坂道
人ひとり通るぐらいの薄暗い、忍者でも隠れてそうな_・) 山道を石垣伝いに登る事約15分で岩国城天主閣に到着する。

11:37【周防岩国城】
岩国城①
関ヶ原の戦いの翌年の1601年(慶長6年)に吉川広家が築城を開始し8年の歳月をかけて完成するも、完成後7年目の1615年(元和元年:大阪夏の陣:豊臣家滅亡)徳川幕府の一国一城令で廃却されました。

11:23【岩国のシロヘビ】
天然記念物「岩国のシロヘビ」は、岩国市にだけ生息している世界的にも極めて珍しいヘビとの事です。
見学には100円のお志が必要です。岩国シロ蛇
子供の頃、祖母や母に『シロヘビは神様のお使いだよ!』『いじめたら、罰が当たる』と言われた事を思い出しました。神様のお使いでも何匹も木に絡まっている姿はあまり気持ちの良いもではありませんでした。

11:26【岩国のシロネコ】
岩国シロ猫
【岩国のシロヘビ】観光施設の前で、初夏の暑さでシロネコがヘバッテました。因みにこちらは非天然記念物。

11:28【目加田家住宅 (国指定重要文化財)】目加田家住居
白壁と菖蒲の花のコントラストが鮮やかでした。

11:36【帯錦橋】を後にして市営バスで岩国駅へ、次の見学地の【安芸宮島】にはJR山陽本線宮島口で降りる。

12:39【宮島名物:あなご飯】あなごめし
味は美味しかったのですが、疲れた身体には少し量が物足りなかった。

13:12JR宮島口からフェリーで宮島へ渡る。みやじま丸
眠そうな顔の鹿が出迎えてくれました。宮島の鹿

13:29【厳島神社】
厳島神社は推古元年(593年)に創建され、平成8年12月世界文化遺産に登録された海を敷地とした社殿を廻廊で結んだ1400年以上の歴史ある朱色の美しい海上神殿です。

厳島神社
【大鳥居】

厳島大鳥居
本社前の海面にそびえる朱塗りの大鳥居は、高さ16m、重量約60t。主柱は樹齢500~600年のクスノキで作られており、鳥居自体の重さで立っているとの事です。
13:55【豊国神社(千畳閣)】
千畳閣外観

千畳閣ご神体しゃもじ

千畳閣絵馬もみじ饅頭

千畳閣内部
天正15年(1587年)、豊臣秀吉が戦死者への供養の為、政僧・安国寺恵瓊に建立を命じた大経堂です。
島内では最も大きな建物で、畳857枚分の広さがあることから千畳閣と呼ばれてます。
内部は体育館ほどの広さがあり、江戸時代以降の絵馬や額等と共に元の名物菓子【もみじ饅頭】の額も飾られてました。
厳島神社下望

JR山陽本線広島駅~市電/紙屋町西で広島城へ向かう。
16:12【広島城二の丸】広島城二の丸
太田川のデルタ地帯に1589年(天正17年)中国地方の戦国大名毛利元就の孫秀元が築城。広島球場方面を望む
慶長4年(1599) に落成するも翌年の関ヶ原の戦後、西軍の総大将の輝元は周防・長門へ減封されました。

【広島城天主閣】
広島城天守閣

17:01【原爆ドーム】

日が伸びたので、今日中にここだけは見学したいと思い徒歩で向かう。原爆ドーム
広島市民球場脇を過ぎると太田川に架かる相生橋が見えてきた。
教科書や写真では分かっていたつもりだったが、あらためて原子爆弾(戦争)の恐ろしさに驚き、疲れた身体を引きずりながら市電で宿へ戻る。

19:37【広島風お好み焼き】ひと風呂浴び、夜の町へ繰り出し、鋭気を養う。広島風お好み焼き
この時間が一番うれしい、楽しい。ウキウキするo(^o^)o
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■5月6日(木)曇りのち雨
に本日の走行予定距離は徳山迄の約120km、途中で雨に降られる事を時間に入れて、少し早いがホテルをチェックアウトする。
ルートは一昨日と同様に山や坂が少ない瀬戸内海沿岸のルートを選択する。(国道2号線~岩国市内で国道188号線)
沿岸部へ回る前に昨日見学出来なかった平和公園等を見学する。

太田川左岸から見た【原爆ドーム】
東側より原爆ドームを望む_

【原爆の子の像(千羽鶴の塔)】1958年5月5日「広島平和を築く児童生徒の会」建立原爆の子像
子供の頃被爆し鶴を千羽折れば原爆症が治ると闘病し、中学1年生で亡くなった佐々木禎子さんのお話は一度は聞いた事はあると思います。

【原爆慰霊碑】
原爆慰霊碑
『安らかに眠って下さい 過ちは 繰り返しませぬから』のメッセージと共に、原爆死没者名簿が納められています。
当日も通学途中の学生や散歩しているお年寄りの方がお祈りしていました。

宮島まで山陽本線と国道2号線の他に路面電車(市電)が並走する様に走っており、『小さい車輌に人が一杯だな…お疲れ様です』とボ~と考えているうちに今にも泣きそうな空の下JR宮島口駅へ到着。(まずはここで一服)
この時間だと、宮島へ来る人渡る人はあまり見かけない。

どの辺で雨に捕まるかな?と考えながら一路岩国市へ向かう、山陽本線のを越えると国道2号線と国道188号線の分岐交差点へ到着する。蒸して来た。

国道188号線の途中に【岩国基地】の標識があったので、回り込む。

【岩国基地:米海兵隊と海上自衛隊の共同航空基地】
岩国基地
基地の前で今日は飛行機は休みか?と思っていたら、突然!轟音を残してF18が頭上を通過した。(びっくり!!)

【瀬戸内海と山陽本線】

市街地を抜け海岸通りへ出ると前にも増して天気が悪くなってきた、もうそろそろ来るかなと坂道の上で休憩してると、ついに来た。
瀬戸内海と山陽本線
あわてて雨宿りが出来る場所を探すが付近には人家やコンビニなど無く、500mほど先のガソリンスタンドの軒下でやっと雨宿りをさせてもらう。雨が降っているにも関わらず明るい?雨具の出番か!と思っていたらに急に雨が上がる。『狐の嫁入り』だったのか?と思い再出発する。

1km程走ると左側の海が見える道路脇の休憩所になにやら書いてある。

11:24【油岩:長祖生(ながそう)狐】
人をだます事で評判の「長祖生きつね」長祖生の狐
昔、漁民が座礁した船を助ける為船を押していたが、狐にだまされ化かされて船の代わりにこの岩を押していたとの民話が伝わってます。
何~!狐に馬鹿された? さっきの雨はやはり『狐の嫁入り』だったんだ!!

13:26
光市看板

逆風の中、低く雨雲が垂れ込める海岸を『天気がよければ遠方の島々も綺麗なんだろうな』と思いつつ走ること2時間【ようこそ光市へ】の看板が見えて来た。

13:51【室積海水浴場】室積海岸
綺麗で穏やかな海、白砂清松の海岸。そしてそこには夏の準備の為、鎌(?)を持って松林を掃除しているオバサン達と電波おやじがいるだけでした。
室積海水浴場①
室積海水浴場②

14:38 光市役所から続く坂道を下ると【虹が浜海浜公園】が見えた。
潮騒だけが聞こえる…誰もいない海…そして、浜に打ち上げられた古い木船…。虹が浜海浜公園
と感傷に浸っているのは今だけだろう…夏になるとBOY&GAL達がところ狭しと騒ぐのが目に浮かぶ。

国道188号線に戻る。路面も良くなり追い風にも乗る。
宿まで約2kmのところでまたも雨に捕まるが、今度の雨は『狐の嫁入り』ではなかった。(もちろん『狸の嫁入り』でもない)小雨になったところでレインコートも付けづに強行突破を図る。雨が心地よい。予定時間より1時間ほど早く周南(徳山)の宿へ到着する。

■本日の走行距離:127.98Km
■累計走行距離  :416.33km

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■5月7日(木)曇りのち晴れ
08:30 昨夜の雨が少し残っていそうな天気ではあるが、吉牛で朝飯食べて気合いを入れ、今日はいよいよ九州上陸!出発!!

08:59【周南市郊外】周南市郊外
徳山駅前に出て西に向かい、途中で国道2号線と合流。どうにか天気は持ちそうだ。

09:43【椿峠】内陸の山道を登ったり下ったり.
椿峠
途中の変わった建物のドライブイン(庄屋繁寿山右衛門)で小休止

10:14【毛利氏庭園】到着毛利氏庭園石柱

毛利博物館やお屋敷・庭園を見学。
お屋敷
特に明治維新前後の朝廷からの手紙(倒幕の密勅)等の貴重な資料やお屋敷・庭園の見事さには驚く。
鶴亀図鶴亀図説明
縁側屋敷とつつじ
更にここは大正5年(1916年)維新の元勲井上馨により毛利のお殿様(公爵)の本邸として建てられ、完成直後には大正天皇や昭和天皇もご宿泊されたとの事です。
お屋敷外観

ふじと松

11:25【史跡周防国衙跡】

周防国衙跡
国衙(こくが)とは律令制における地方のお役所の事です。同碑の脇に何故か日露戦争時の大砲の弾丸が置いてありました。

11:36【防府天満宮】
天満宮鳥居
学問の神様、菅原道真公を祀った神社で、京都の北野天満宮福岡の太宰府天満宮と共に日本三天神と称せられています。
扶桑菅廟最初
道真公は九州大宰府への西下の途中、防府に立ち寄り、死んだら魂となって帰ってくると約束しました。公が亡くなった翌年延喜2年(904年)日本で最初の天満宮として創建されました。
防府天満宮春風楼

さすが学問の神様菅原道真を祭る神社であり、学生(高校生)達が盛んにお参りしてました。
天満宮社殿皆!お参りしたんだから、ちゃんと勉強するんだょ!

【二ノ宮金次郎】像 二宮金次郎
残念ながら、近頃の日本人が忘れた『勤勉』をしょってました。

防府天満宮の参道にある食堂で昼食を取り、登ったり下ったり相変わらず風景に変化の無い国道2号線を更に西進。

15:00頃防府市郊外の長沢池付近の国道2号線で悲劇が襲う…後輪パンクだ!
後輪のパンク修理は初めて、田んぼ脇の歩道でチェーンを外し『修理の店』を出していると、何時の間にやら自転車転がして来たジー様が『器用なもんだね…これじゃ~自転車屋が儲からね~な~!』なんて言いながら肩越しにパンク修理を覗いていた。(T△T)どうにか30分程で修理完了。

逆風の中、後輪を気にしながら再出発!したが、南山口警察署の前で後輪の空気が抜ける┏(-_-;)┓
更に30分程かけて再交換。一日で2度もパンクしてエライ目に合った国道2号線から、海沿いの国道190号線で宇部・山陽小野田市方面へルート変更する。 

17:01ふぐで有名な【下関市】郊外へ到着
下関市ふぐ


17:35【ブリジストンタイヤ下関工場】
BS下関工場
世界最大のタイヤが飾られていました。ちょうど退社定時だったのか道が込み始める。

長府市で海岸沿いの国道9号線へ回る、太陽は大きく傾き今にも日本海側へ沈みそう。
遠くに関門大橋が見えて来た、もう一息だ!日没前に北九州小倉へ着かなくては!!焦り始める…。

18:04【壇ノ浦古戦場】
壇ノ浦
寿永4年(1185年)源氏と平氏との最後の合戦、古戦場。今は関門橋が架かる、静かで穏やかな海が広がっているだけでした。

18:11【関門橋】
関門大橋
1973年に関門海峡に架かる総距離9.4kmの自動車専用橋です。自転車は渡れません。

18:23【関門トンネル人道】歩行者無料、自転車・原付20円(但し押して通る)780mの海底トンネルです。関門トンネル人道①
エレベータで下るとトンネル内は意外に明るく、空調設備も万全で、ジョギングや散歩している人が多いのには少々驚かされた。関門トンネル人道②

九州へ上陸した頃には辺りは日が暮れかけており、門司の町を国道198号~199号線で駆け抜ける。
『小倉は遠くに見える遊園地の観覧車の光が見える辺りだよ!』とコンビニのオネーさんに教えてもらうが、やたらと遠い…昼間なら宮本武蔵と佐々木小次郎の対決で有名な厳流島でも見えるのでは?と思いつつ今夜のお宿を目指す!

20:00やっと宿に到着。今日は一日えらい目にあったと反省し、旅装を解くヽ(^▽^)ノ
疲れた身体にはやはり薩摩の芋焼酎でしょう(*^¬^*)ノ北九州焼酎

■本日の走行距離:147.47Km
■累計走行距離  :563.88km

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■5月8日(金)晴れ
昨日のトラブル(パンク)も有ったので今日は早めに出発しようと08:30チェックアウトする。
自転車を見ると見事に後輪から空気が抜けていた(´_`)3度目の店開き。小一時間ほど遅れて出発。

09:40【小倉城】
国道199号線で紫川を渡り小倉城へ到着。小倉城①

慶長5年(1600年)関ヶ原の合戦後、毛利氏の改易後、論功行賞にて細川忠興が慶長7年(1602年)築城城主となる。
寛永9年(1632年)細川氏が肥後(熊本県)へ移封された後は、幕末まで小笠原家が城主となりました。
小倉城②
今まで見て来た城閣との外見上大きく違うところは、最上階が下の階と比べて張り出している独特の唐(南蛮)造りとなっているところです。
幕府に遠慮して階層数を隠す為と言われているが、細川のお殿様がなかなか新しもの珍しいもの好きであったのではと思いました。
近くには小倉城庭園や北九州市出身の松本清張記念館もありました。

天気が良く予定では80km程の走行距離。4~5時間あれば楽勝で福岡博多に到着出来ると考えていたが…甘かったw(゜〇゜)w
国道3号線戸畑バイパスで北九州市立中央中学校付近を走行中、段差のマンホールを踏んだ拍子でパンクしてしまった。坂下のガソリンスタンドで4度目の店開きを行う。

スタートしてから1時間程全行程の4分の一も走っていない。【後輪】は何かに呪われている( ̄□||||;)
近くの自転車屋の軒先を借りて新しいチューブを購入交換する。
5度目の店開き┏(-_-;)┓┏(-_-;)┓
2度もパンクしたチューブは、これ以上祟られては困るので破棄した。)

二日間で5回もパンク修理したお陰で自転車のオヤジに『修理上手いね』と褒められるがあまり嬉しくない
→(>_<)→グサ

12:20【遠賀川】
鹿児島本線と並走して遠賀川を渡り遠賀町へ入る。遠賀川橋
そうか!弥生式土器や農耕文化の遠賀遺跡の遠賀か?この辺りだったんだと改めて周りの田園風景に感動する。

14:31【福岡市郊外】やはり九州だけあって暑くてかなわない;^_^A
遠くの空に飛行機が低空で旋回しているのが見えて来た。
『もうすぐだ!』と思ったが福岡市の東(区)であり、また途中ルートを間違えた為15km程余計に走る事となる…。

15:17【石蔵酒造株式会社】如水①
吟醸酒如水で有名な造り酒屋を覗く。如水②
自転車でなければ一杯飲みたい…。

16:00やっと宿に到着 遠くに福岡タワーが見える…。今日もどうにか終わった(^。^;)
今夜は15年来の古い友人と博多名物の天神・中州川端の屋台での一杯が楽しみだ! 
福岡屋台②
話には聞いてはいたが交差点の脇で屋台が出ているのには驚きました( ^_^)/□☆□\(^_^ )

おでん屋
とんこつラーメン屋台

福岡屋台①
⊂・^ミ崎さん遅くまでありがとう。
■本日の走行距離:94.57Km
■累計走行距離  :658.37km

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■5月9日(金)曇りのち晴れ
西鉄福岡駅発08:46で大宰府へ向かう、途中西鉄二日市で乗換え09:13に到着。
思っていたより近いので拍子抜けする。(もっと山奥にあると思っていました。)

09:15【大宰府駅前】
駅前に菅原道真の有名な「東風吹かばにほひをこせよ梅花 主なしとて春を忘るな」の歌がありました。

09:20【大宰府天満宮】到着
大宰府天満宮石柱

東風吹かば歌碑
天満宮は京から左遷され不遇にしてこの地で亡くなった『学問の神様』と言われている菅原道真を御祭神にした神社です。
大宰府本殿①

本殿内部

大宰府本殿裏②

当日は合格祈願に詣でる学生と共に中国の観光客が多数参拝に来ており、境内は結構込んでました。
大宰府楼門

おみくじ

大宰府庭園心字池太鼓橋

【飛梅】
飛び梅20100616061616
道真公を慕って一夜にして京から紅梅飛んで来たとの伝説があります。現在の梅は白梅との事です。

【臥牛像】臥牛
神使の臥牛像、良くなりたい箇所を触れば良くなるとの事で、皆一様に臥牛像の頭を触ってました。私は頭と腰(ギックリ腰)が悪いので…いや全部かな?
猿回し
境内では何故か猿回しが?

【鬼太郎商店】
鬼太郎商店
天満宮とどう関係あるのか分かりませんでしたが?鬼太郎
ゲゲゲの鬼太郎が目玉のオヤジやねずみ男達と商売してました。

11:29【福岡城址】福岡城址碑
別名舞鶴城とも呼ばれ、城跡には舞鶴公園・平和台陸上競技場や大壕公園が入る程の九州最大の城。
関ヶ原の合戦の翌年の慶長6年(1601)から六年の歳月をかけて豊臣秀吉の名参謀だった黒田如水(孝高)とその子長政が築城しました。
福岡と言う地名は黒田家の故郷である備前福岡にちなんだとの事です。(5月1日に見学済み)
明治以降は陸軍の管轄となり福岡連隊が置かれてました。

【潮見櫓と大手門】潮見櫓と大手町

【二の丸跡】
二の丸跡

【天主台跡から大壕公園方面遠望】
天主台より遠望
福岡タワーやYAHOOドームが遠望出来ました。

【天主閣本丸跡への入口】天主台石垣
石垣が見事でした。

【旧母里太兵衛(ぼりたへえ)邸長屋門】梅里太兵衛長屋門
黒田節で有名な方のお屋敷跡です。梅里太兵衛説明文

12:22【大壕公園】池や湖にはやはり【電波少年的】スワンが似合います!
大壕公園スワン

12:41【西公園】西公園
ここからの長い坂と階段が結構キツかったです。

12:52【光雲(てるも)神社】光雲神社
神社の名前は龍光院殿(黒田孝高:如水)、興雲院殿(長政)の法名から一字ずつ取って名付けられたとの事です。境内では幸運を呼ぶ鈴(?)なるものがあり、読み方で光雲=幸運(こううん)と読みご商売されてました。
お参りしたので何か良いことありそうな…。

【黒田長政の幸運の兜】
黒田長政兜
黒田長政が関ヶ原の戦いで被っていた兜で、合戦前夜、馬が足を滑らせ川へ落ちそうになった時、水牛兜の角が川岸の柳に引っ掛かり難を逃れたとの逸話が有るそうです。

【母里太兵衛(ぼりたへえ)像】
黒田武士槍
黒田節
酒は飲め飲め 飲むならば
日の本一の(ひのもといちの) この槍(やり)を
飲み取るほどに 飲むならば
これぞまことの黒田武士黒田武士酒
黒田武士(節)には大杯と槍(名槍日本号)が似合います。
DNA的にも伝統的にも福岡人に呑み助が多いのも分かります。

福岡14:30発 走って来たを行程を逆にのぞみ40号で東京へ、ビールを飲みながら『今度は何処へ旅しようか?』思いつつ帰宅する。

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プロフィール

55GATs

Author:55GATs
年齢57歳 男性 血液型O型 身長176㎝ 体重67.4㎏ 体脂肪率21.4% BMI21.8 内臓脂肪レベル7 体年齢41歳 未婚
某通信会社勤務 
趣味:①ロードスポーツサイクルでの全国縦断の旅。札幌~稚内を走破すれば「全国縦断達成」②1/144の戦車や飛行機スケールモデル造り。③読書(特に歴史時代小説)④映画観賞(但し、ホラー等の怖い、気持ち悪いのはダメ)⑤TV視聴:頭を使わない『白痴TV番組』等が多い。
⑥お酒は何でもOK(お付き合い程度)

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