スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2010年山陽道自転車の旅 PARTⅠ

電波おやじ自転車の旅、第三弾は、人の迷惑も顧みず、この忙しい年度末の時期に『京都から播州赤穂まで、明石の名物、旨い
(・◎・)タコ
瀬戸内の魚>゜))))彡を各地の銘酒の肴にしながら山陽道を自転車で名所旧蹟を訪る』事としました。
会社の皆さんm(_ _)mごめんなさい 人(´0`;)

----------------------------------------------------------
3月20日(土)東京曇り 京都~大坂曇りのち晴れ
06:20
成増20100407235829
地下鉄有楽町線成増駅、出発。
成増出発新幹線で京都まで輪行し、播州赤穂まで4泊5日の旅。成増~有楽町経由乗り換え、京浜東北線で東京駅へ。
   
●07:56
東京駅新幹線20100404162146_convert_20100408000333
カモノハシみたいな、東京発、東海道新幹線こだま637号に乗り込み、最後尾座席の後ろのスペースに輪行バックを置き、京都へいざ出発!
輪行20100408000614
昨年の『東海道五十三次』自転車の旅を思い出しながら、ウツラうつらしていると、いつしか箱根を越えおり、車窓からは美しい富士山が眺められました。新幹線富士山SN30114_convert_20100404163852

●11:38 京都到着 
素早く輪行を解き、バイクを組み立て、東寺の前を通り、国道171号線経由で大坂へ。京都駅SN3J0116_convert_20100404172133東寺SN3J0118_convert_20100404172228

●山崎古戦場跡(天王山)
 
天正10年6月2日(1582年6月21日)、織田信長が家臣明智光秀の謀反(むほん)により亡くなった本能寺の変後、信長の仇(かたき)を打つべく、豊臣秀吉が備中高松城から、短日時でかの有名な『中国大返し』行い、戦略上重要(京都と大阪の境)な同地で、見事『主君の仇』を討った有名な古戦場です。
山崎古戦場SN3J0121_convert_20100404173755
現在は天王山と淀川の間の幅1~2km程の狭い隘路に国道、東海道新幹線、阪急京都線等が通っており、ツーリング当日も国道171号は高槻市内まで大渋滞、麓にSUNTRY山崎工場が遠望できました。

この付近では天王山(側)からの側面攻撃を受け易く、また一度に大軍を動かす事は難しい為、いち早く同山頂の奪取に着目し、側面攻撃と合わせて山を駆け下り『天下取り』の第一回戦に勝利した秀吉と、軍師の黒田官兵衛の采配の見事さと同様の春の太陽が輝いていました。
また、それとは対象に『主君殺し』の負い目とお公家参りで『油断』して滅んだ光秀の『哀れさ』が、冷たい風となって同古戦場を吹き抜け、淀川の川面を波立たせている様でした。

●桜井駅跡

この桜井の駅は1336(建武3年)5月23日、天皇側の武士であった楠木正成が、途中の桜井の駅。(現大阪府島本町)で子供の正行(まさつら)と、万に一つも勝ち目ない戦の為、子別れした場所です。③桜井の駅SN3J0124_convert_20100404181009
現在は、阪急京都線の島本駅から徒歩5分程の所にあり、昼下がりの親子づれの楽しそうな声がこだます児童公園となっていました。

1334年『建武』と年号を改め、自ら政治を治めようとした後醍醐天皇と、武家主導による政治を目指していた足利尊氏が鎌倉にて叛旗を翻し、足利義満(室町幕府3代将軍)時の『南北両朝廷合体』迄の半世紀余りの長い合戦の始まりとなってしまった。

一時九州に追い落とされ、その後建武の新政に不満を持つ武士勢力を糾合し戦力を盛り返した足利尊氏の入京を阻止すべく、正成は朝廷へ献策するも、戦略戦術に無知無能な公家や坊門清忠らが『都から打って出て兵庫で尊氏軍を討つべし』との愚策を後醍醐帝へ上奏した為、湊川へ出撃を命じられました。

枚方大橋 
淀川枚方大橋3J0129(2)_convert_20100404182119
高槻高校近くで国道171号線を左折、国道170号線へ向かう。枚方大橋を渡り寝屋川市へ入り大坂(西成区、動物園前)へ向かう。

動物園前一番街 
動物園前SN3J0130(2)_convert_20100404183155
昭和の匂いが漂うアーケード付き商店街。派手な電飾が何故か懐かしい。

通天閣

これが有名な通天閣、通りの両側には串カツ屋が『これでもか!』と言う風に立ち並び、店先にはビリケンや派手なフグ提灯等の電飾が大坂の夜空を照らしていた。通天閣(夜)20100404183701


串かつ店舗
外まで行列が並んでいる。そんなに串カツとは旨い物なのか?人が多いのには驚かされた。通天閣串カツ屋20100404183945


●新世界 
新世界20100404190519
通天閣の周りを見学していると、大衆演劇舞台で有名な『新世界』の界隈へ出て来た。今夜はちょん髷(まげ)ものの舞台があった様だ。

●これが大阪名物串かつ串カツ20100404193113
 旨くてしかも安い、地元のお酒で今夜も乾杯!

●串カツ屋 3合飲むと1合分は無料でした。やまと屋20100404193447
さすが浪速!大坂!太っ腹!!

■大阪到着 走行距離:61.40 Km
----------------------------------------------------------
■3月21日(日)大坂曇りのち晴れ(黄砂注意報)

8:15 最寄りの地下鉄堺筋線:動物園前駅で一日乗車券(850円)を購入し、地下鉄を乗り継ぎ大坂城へ向かう。

大阪城
豊臣秀吉が建てた天下の名城

●巨大な石垣 
大坂城大手門から入城するとすぐに巨大な石垣が現れる。
驚く程の大きさだ、どうやってここまで持って来たのだろう?権力者の富と力と、人々の汗によりここまでやるとは…!大阪城大石垣


●黄砂のかすむ大阪城 石垣より大阪城
黄砂により朝から大坂の空は黄色い粉をまぶした様に霞んでいる。
天気予報では『黄砂』と飛砂とは聞くが、町全体が黄色く染まるとは想像していなかった。

●城内(真田幸村隊人形)
夏の陣真田隊
エレベーターで5Fまで行くと、正面に大坂夏の陣のミニチュア模型や、秀吉と大坂城の歴史が解かるパノラマビジョンが上映されていた。

●金の鯱 大阪城金の鯱鉾
天守閣展望台からは金の鯱鉾と大坂の街が一望出来た。

●貸衣装と貸し冑 真田幸村の兜です。(プラスチック製)兜:幸村



●大坂城の大砲・お城のドン
天守閣入り口に展示されている大砲です。大阪城:おしろのドン
幕末~明治維新時の戊辰戦争に関係する大砲ではなく、明治政府が鐘の代わりに時報として日に3回空砲を撃ったが、
1874(明治7)年からは正午だけとなり、それを「お城のドン」と呼ぶようになったとの事です。

●豊国神社秀吉像:豊国神社
豊臣秀吉、秀頼(秀吉息子)、秀長(秀吉異父弟)を奉祀する神社で、『秀吉像』 後ろでは桜が咲き始めてました。

●大阪城外堀大阪城外堀


●三光神社三光神社
真田幸村が大坂冬の陣慶長19年(1614年)で出丸(通称、真田丸)を築いた場所と言われ、また大阪城からの抜け穴(地下道)を設けたことで有名な神社。境内には抜け穴跡の史跡や幸村像が残されていました。

●真田幸村像 

大坂冬、夏の両陣で東軍(徳川方)を苦戦させた名将。台座には故郷信州上田、真田家の菩提寺の長谷寺の真田石が置かれてます。幸村像:三光神社


●真田の抜穴
三光神社:抜け穴
宰相山と呼ばれる一角にあり、真田幸村が「大坂冬の陣」の時、大坂城の出丸(真田山)を築いた所とされ、この穴は大坂城に繋がっていると言われ洞穴です。


●真田山陸軍墓地
真田山:陸軍墓地
明治4年(1871)真田丸跡に築かれた帝国陸軍が設立した日本最大最古の陸軍軍人墓地。

●史跡 重要文化財 適塾適塾外観20100404235557
 
天保9年(1838年)緒方洪庵が開いた蘭学、医学塾。大村益次郎、福沢諭吉、等幕末の天下の俊英達が学び、その後、彼らは明治維新の政治や教育の中心となった。
現在は北浜地区のオフィス街の中にあるにも関わらず大坂大学にて大切に保存管理されてます。

緒方洪庵の画像 
緒方洪庵20100404235221
日本最初の病理学書『病学通論』を著し、種痘を広め、天然痘の予防に尽力。日本医学の近代化に努めた。

ヅーフーハルマ20100405000122

適塾内部20100405000404
30畳程の狭い部屋に多数の塾生が寝泊まりし、ヅーフー辞書を奪う様に勉強したと言われている。奥に『一晩中灯が消えない』程学生達が勉強したヅーフー部屋があります。

学問のすすめ 
学問のすすめ20100405000302
塾頭だった福沢諭吉著。1872年(明治5年)初版出版、『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」で始まる有名な本。最終的に当時の日本人の10人に1人が読んだベストセラーになったとの事です。

●道頓堀界隈
●くいだおれ次郎くいだおれ次郎20100411125042
くいだおれ太郎の弟で、万歳が上手でした。当日は一緒に記念撮影する人達で通りはとても混雑してました。

●カールおじさん 何気に見るとカールおじさんが…。カールおじさん20100411130339


●かに道楽本店 かに道楽20100411130130
ハサミと足を器用に動かしていた。

●グリコMAN こちらもバンザイしてました。
グリコMAN20100411130539


●通天閣(昼間)通天閣(昼)


●通天閣の下に安田大サーカスの人形が置いてありました。さすが大阪どこでもお笑いがある。ヾ(@^∀^@)ノ安田大サーカス100321_1349~01


●安居神社
幸村終焉の地20100411135247
大阪夏の陣における真田幸村の終焉の地。
同合戦時、家康が陣取っていた茶臼山まで、目と鼻の先の距離しかない小高い丘の上にある小さな神社であった。
さぞかし、幸村も無念であった事だろう…。幸村終焉の像20100411135755

境内は手入れが良く、掃き清められており、今も地元の人たちや歴史マニア?(今流行の歴女)に高い人気があるのか、連休最終日夕方にも関わらず、多数の人々がお参りに来てました。

●四天王寺
四天王寺20100411141518
聖徳太子が推古天皇元年(593)に建立した古いお寺です。
『日本書紀』の伝えるところでは、排仏派の物部守屋と崇仏派の蘇我馬子との合戦の折り、蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り 「もし、この戦いに勝たせていただけるなら、四天王を安置する寺院を建立しましょう」 と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。

●極楽浄土の庭
パンフレットには『日本仏法最初極楽東門中心 四天王寺本坊庭園』と書いてあり、釈迦、薬師の滝や極楽の池と合わせて一足早く『桜』を楽しんで参りました。極楽の庭20100411141615


●これが、土手焼き土手焼き20100411142413
 牛筋を煮込んだ料理でした。

●ビリケン 幸運の神様、足の裏掻くと幸運が訪れると言われてます。ビリケン(夜)20100411142458

----------------------------------------------------------
■3月22日(月)晴れ
●京セラドーム
08:50 大阪のビジネスホテルから国道43号線に乗り、一路神戸市経由明石市へ向かう。
交通量は少ないが、高架にある高速道路とインターチェンジで交差している為、UP DOWNが結構あった。そのうちにUFOみたいな京セラドームが見えました。京セラドーム20100411144339


●甲子園球場
阪神タイガースのホームグランドで、現在は第82回選抜高校野球の会場とな っていた。甲子園球場①20100411144510

球春の風に日章旗と高校野球のペナントはハタメキ、 高校球児や応援の老若男女の団体が球場の周りにあふれ、時折、歓声が上がる度に、見事なファインプレーやヒット・ホームランでも打ったのか?と心躍らせる文字道理【青春】の場所でした。甲子園球場②20100411144610


●西宮神社
西宮神社2010041114535
全国の恵比寿様『福の神』の総本社。

●谷崎潤一郎記念館
国道2号線、途中にこの先左折【谷崎潤一郎記念館】との標識あり。
芦屋市内閑静な住宅街を進むと、図書館の脇にある同館前へ出る。谷崎潤一郎記念館20100411150251
『痴人の愛』『細雪』等で有名な文豪の谷崎潤一郎が、関東大震災後関西に移り住み芦屋に設立した記念館。

国道2号線へ戻りしばらく西向かうと神戸市に入る。いつしか遠方に造り酒屋の看板が目立つようになり日本酒で有名な灘(区)へ入っていた。匂いに誘われて街中を更に進むとお馴染みの造り酒屋看板がある記念館へ到着。
●菊正宗菊正宗20100411145524


●白鶴酒造
旨い日本酒を呑むまでには、多くの人達による手間暇が掛かる事が良く理解出来た。白鶴②20100411145919
これからも美味しいお酒を造って下さい。白鶴③20100411150036
残念ながら自転車で来館の為、警備オジサンに『ハンドルキーパー』のシールを服に貼るよう入念に指導されて、試飲はご法度となってしまいました…(ToT)

●神戸港震災メモリアルパーク
震災メモリアルパーク20100411161128
メリケン波止場の脇の神戸の大震災のモニュメントを見学する。
地震の規模の大きさに驚かされ、自然の前に人間は無力である事を改めて認識させられました。

●神戸ポートタワー
『太鼓』みたいな形の108mの赤いタワー、只今、改装工事中。神戸ポートタワー20100411161304


●湊川神社
湊川神社20100411160105
鎌倉、南北朝時代の誠忠と正義を貫いた名将、楠 正成を奉る神社。湊川神社本殿20100411155046

楠木正成の墓20100411155214
延元元年(1336年)5月25日足利尊氏軍数万とわずかな兵(700名)で6時間16回に及ぶ合戦を行い、最期は弟(正季卿)と『七生滅族』を誓い刺し違えてご自害されました。

●国道2号線と阪神高速3号線(神戸市長田区)
神戸淡路大震災の時、根元から折れてしまった高速道路脇を進む。もし、また、地震が起きたらと思うと…早く通り過ぎたい。国道2号と高速3号線20100411171149


●一の谷古戦場(須磨浦公園)
1184 (寿永3)年2月年、京都から都落ちした平家が福原(神戸市)にて勢力を盛り返し、源義経率いる源氏と戦った古戦場。
いざ( `_)乂(_´ )勝負

須磨浦公園20100411161429
今は須磨浦公園なっており、瀬戸内海と山に挟まれた狭地を鉄道と国道がやっと走っている様な地形。平家も『まさか』義経や弁慶が馬で鵯い越(ひよどりごえ)から奇襲して来るとは予想しなかったと事に、十分うなずける程の断崖絶壁。

●平の敦盛墓標 
敦盛卿の墓20100411155411
一の谷合戦で源氏方の御家人、熊谷次郎直実に討たれ17才の若き公達(きんだち)の墓です。直実も関東に残してきた息子と同じ位の少年を討つ事は忍びないとして、一旦は見逃そうとしたが、涙を呑んで 討ち取ったとの逸話が残ってます。 墓標は国道2号線沿いの『敦盛そば』とか言う蕎麦屋の奥にあり、今日も献花 と線香が煙が上がってました。

●熊谷次郎直実像
昨年、熊谷で撮った写真を添付しました。
この像は、一の谷合戦で敗れて沖の軍船へ落ち延びる敦盛を呼び止めている像と言われてます。熊谷次郎直実像20100411162655

●明石海峡大橋
本州と淡路島を繋げる世界最大の吊り橋です。
橋脚基部の公園では、家族連れや観光客が夕日を浴びながら遊び、沖では客船と大橋が西日に映えてとても綺麗でした。ちなみに、この橋は自転車では通行できないとの事です。明石海峡大橋20100411154851


●明石天文科学館(子午線上)
子午線20100411161657
更に西に進むと、右側に日本の中心(子午線)との看板が出てきた。
中学校の時、科学(理科だったか…?)の授業で、子午線について勉強したが、ここが日本の標準時間を刻んでいる場所か?と思いつつ良く見るとSEIKOのロゴが付いていた。
さすが世界のSEIKO、ここまでやるか!と思わず感心してしまった。

●明石城
夕方の入城となった。
小さいながらも櫓と石垣が立派で、本丸跡や櫓脇の石垣からは明石市内が一望できました。
●坤櫓/船上城の移築櫓と言われてます。坤櫓20100411172213

●巽櫓/伏見城の移築櫓と言われてます。巽櫓20100411173610

●明石城 夜景
明石城夜景20100411173852
何気にホテルの障子を開けたら正面にライトに照らされた明石城の夜景が浮かび上ってました。

●魚の棚(うおんたな)魚の棚20100411172007
明石城前のホテルに到着、一風呂浴びて、18:30頃今夜は明石名物、『明石焼き』と地元の肴で一杯やろうと思って向かったが、既に同アーケード内の店舗に明かりは無く、唖然となる。 『どうしてこんなに早く店じまいするのか?』と思いつつ、せめて『明石焼 き』を食べさせてくれそうな店を探しに歩き回る。
どうにか店を見つけビールと『明石焼き』に有りつく。
因みに『明石焼き』は、タコが入っているたこ焼の形をしている卵焼きでした。明石焼き20100411171925



■明石到着 走行距離: 79.63Km 累計距離:141.03Km
----------------------------------------------------------
3月23日(火) 雨
●姫路明石自転車道
姫路明石自転車道20100411181021
国道2号線を西明石駅で左折し国道250号線へ入り、途中で自転車専用道路へ入る。専用道路との標識があるものの
そこは新幹線の高架下の歩道に、消えかけのペイントで 『自転車道路』と書いてある“ 道 ”があるだけだった。

●鶴林寺 
鶴林寺20100411174013
『播磨の法隆寺』と言われ、聖徳太子が創建した歴史の古いのお寺です。

●加古川 加古川20100411174213
後の白い車両は雨の中から突然現れた山陽新幹線です。(はゃ!)

●姫路城(城見台公園より遠望)姫路城工事20100411174310

平成の大改修工事が始まってました。工事完了まで5年間天守閣は大屋根で囲われてしまいます。鯱鉾姫路城20100411174821


●野口聡一さんの横断幕
野口聡一さん横断幕20100411175044
太子町役場近くの歩道橋にはご当地のヒーロー、国際宇宙ステーション(ISS)に滞在している宇宙飛行士野口さんの(祝)横断幕が掛かっていた。

●高(鷹)取峠
道に迷いながらも、親切なJR西相生駅の駅長さんに『楽に赤穂へ行くルートはないか?』と尋ねる。キツイ峠でけど交通量が少ないから大丈夫だと『高(鷹)取峠』を薦めてもらい、で出発する。
峠は確かに多少キツイかった、 しかし車道と歩道を隔てるガードレールも無く、道幅と同じ位の車幅の大型ダンプやトレーラーが歩道まで幅寄せして迫ってくる国道250号線をどうにかしてもらいたかった。まして下り坂は雨の為、ブレーキがなかなか利かなく、恐ろしい思いをした。高取峠20100411175526
エライ思いをして峠を下ると、赤穂浪士も幼い頃遊んだのではないか思う赤穂湾へ注ぐ千種川を赤穂大橋で渡る。赤穂城まであと何Kmの標識に励まされながら赤穂城へラストスパート。 雨と寒さの為か、実際の倍ほどの距離を走った様に思われた。

●赤穂城
赤穂城20100411232908
日暮れ近い時間の為、入城見学は明朝とし、大手門前の巴屋(茶店)で暖かい甘酒を戴き、乾いたタオルをお借りした。

●甘酒
赤穂城前にある茶店にて討ち入りそば20100411213209

■赤穂到着 走行距離: 86.49Km 累計距離:227.52Km
----------------------------------------------------------
■3月24日(水) 雨
●播州赤穂城
忠臣蔵、赤穂浪士で有名な浅野家お城。

●赤穂大石神社大石邸跡20100411212324

大石神社20100411212032
元々は赤穂藩家老であった大石内蔵助の自宅跡に建てた神社。大石蔵内蔵助像20100411212938

境内には赤穂浪士の石造が立ち並び、展示館には江戸城松の廊下~浅野匠守 切腹~吉良上野介亭へ討ち入るまでの軌跡を説明したパネルや、47士の木造等が展示されていた。討ち入りパネル20100411213110
北大路欣也20100411215507


●花岳寺 
花岳寺20100411210227
浅野氏の菩提寺であると共に、大石内蔵助と赤穂浪士47士のお墓がありました。雨の中、事務員オバサンが『このお墓には東京の泉岳寺とは別に浅野内匠頭長矩(ながのり)と赤穂義士の遺髪が納められております。』と、丁寧にご説明してくれました。

◆11:10
野洲行きJR赤穂線新快速で姫路へ向かう。

●姫路城
姫路城20100412213331
国宝姫路城は平成5年12月、奈良の法隆寺とともに、日本で初の世界文化遺産となりました。
姫路城横さくら
鎌倉時代末の元弘3年(1333年)播磨守護職の赤松則村が砦を築き、子の貞範が正平元年(1346年)に城を構えたのが始まりと言われ、その後小寺氏黒田氏が守り、黒田官兵衛孝高の時、羽柴秀吉が天正8年(1580年)西国攻略の拠点として入城後、3層の天守閣を完成させました。江戸時代は徳川家康の女婿池田輝政(52万石)が入府し、池田氏、本多氏、松平氏、榊原氏、酒井氏と代わり、明治維新を迎えました。
姫路城鯱鉾20100411214708
姫路城鉄砲狭間20100412214645

●場内は薄暗く、お殿様の住居と言うよりは、武器庫兼兵糧を蓄える倉庫的意味合いが強い造りでした。
姫路城鉄砲20100412214849

●宮本武蔵が姫路城の妖怪退治をした時、美しい姫が現れ『当城の守護神、刑部明神』として妖怪退散の褒美に宝剣を取らせた。との伝説が伝わっております。
姫路城長壁神社20100411213333

●お菊井戸姫路城お菊井戸20100411220120
悪い家老のお家乗っ取りの企てを暴いたお菊が、家宝の皿10枚のうち1枚を隠したとして殺され、投げ込まれた井戸です。毎夜、「1~枚、2~枚…」と皿を数えるお菊の悲しげな声が井戸から聞こえるようになったと言います。



●姫路城西御屋敷跡庭園 好古園
好古園さくら20100411210737
姫路藩主の下屋敷跡地に姫路城を借景に、山水や季節の草花を見事に配した池泉回遊式庭園でした。
好古園の名は江戸時代最期の藩主酒井家によってこの地に移設された藩校『好古園』に因んでます。
姫路城と合わせてご覧戴く事をお奨めします。好古園滝20100411210902



◆16:44
のぞみ42号(姫路発東京行き)で帰宅。
スポンサーサイト
プロフィール

55GATs

Author:55GATs
年齢57歳 男性 血液型O型 身長176㎝ 体重67.4㎏ 体脂肪率21.4% BMI21.8 内臓脂肪レベル7 体年齢41歳 未婚
某通信会社勤務 
趣味:①ロードスポーツサイクルでの全国縦断の旅。札幌~稚内を走破すれば「全国縦断達成」②1/144の戦車や飛行機スケールモデル造り。③読書(特に歴史時代小説)④映画観賞(但し、ホラー等の怖い、気持ち悪いのはダメ)⑤TV視聴:頭を使わない『白痴TV番組』等が多い。
⑥お酒は何でもOK(お付き合い程度)

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。